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9/30 福井の富田さんから「藤本農園見聞録20070929(1)」
藤本農園に対する改善命令等の内容
1..貴殿が、適正に格付を行い、有機JAS規格に適合した農産物に対してのみに有機JASマークを
付すこと。
2.貴殿が、不適正な格付を行い、有機JASマークを付した主たる原因は、貴殿の有機JAS制度及び
格付業務に対する認識が著しく欠如していたことにあると考えざるを得ないことから、これを含めた
原因の究明及び分析を徹底すること。
3.2の結果を踏まえ、不適正な格付を行い、有機JASマークを付すことがないよう再発防止対策を
行うこと。
4.貴殿が、不適正な格付を行い、有機JASマークを付した全ての農産物について、直ちに当該有機
JASマークを除去又は抹消すること。
5.貴殿が、不適正な有機表示を行った全ての農産物について、直ちに当該有機表示を除去又は
抹消すること。
6.1から5に基づき講じた措置について、平成19年10月22日までに農林水産大臣あて報告すること。
以上です。
池田町 冨田善嗣
敬具
9/24 岡山の林さんから「コガネムシをとらえたムシヒキアブ」
皆さん今晩は、
こちらではいまだに日中30℃を超えています。しかし、秋分になるとやはり彼岸花
が咲き始めました。暑さで去年より少し遅いようです。近所の人が通りすがりに、
「今日は30℃以下だから涼しい。」などと言う時代になってしまったのですね。
朝日の出穂は予定より1週間ほど早くなりましたが、田植を去年より半月程遅くした
ので、少しは穂の出るのが遅くなりました。イノシシが池の堤防を大きく掘り返し、
危険な状態になってきました。放置すると決壊が心配です。
池の堤防でコガネムシを捉えたムシヒキアブを見つけました。甲の隙間に口器を刺し
込んで体液を吸っています。時々お尻から水のような液体を捨てています。写真を撮
ろうとしていたら、こちらに気付いたのか獲物を捕らえたまま持ち運び、近くの草叢
に移動しました。コガネムシを持ち上げて飛べるほどの力持ちです。コガネムシの天
敵にはスズメバチがいますが、ムシヒキアブも天敵だったのですね。スズメバチの場
合は、06年6月12日に報告した通り、コガネムシの甲をバリバリと食い破り頭と
腹を切り落とした後、胸の部分の筋肉を肉団子にして巣に持ち返ります。
林 正弘
岡山市
9/22 岡山の赤木さんから「大豆が、大豆が・・・・」
赤木@菜の花です。
「難なし米なし」 と言うことわざ通りの雰囲気になってきています。台風が来な
いものだから太平洋高気圧が日本の南に居座ったままで。、お彼岸だというのに真夏
日が連続しています。夜も暑くて暑くて、この調子では名月鑑賞は半ズボンかバー
ミューダか浴衣か。もう花火大会並みです。
人間の暑いのはどうでもいいのですが、登熟の最中の稲にとっては大迷惑。
モミガラの中にデンプンが詰まりきらなくて空気が残るでしょう。つまり腹白米だ
な。
気温が相手では打つ手もなしだ。せめてもの抵抗は土をしっかり湿らしてやる事と、
穂肥・実肥を振らない程度のところです。私は何も振らないからせっせと水をいれて
やろう。
やっぱり台風も適当に来て大陸の高気圧を呼んでくれないとダメなんよね。
さてと、今日の本題は黒大豆の樹のことです。
大豆はあぜ豆というぐらいで、無肥料のあぜ道に蒔いても育つぐらいです。
今年はやむなくナタネ緑肥をすき込んだ田んぼに蒔きました。ナタネには稲の一生分
の鶏糞堆肥が入れてあります。それが肥料となって黒大豆に効いてしまいました。
7月には見るも立派な樹になって喜んでいたのですが、栄養成長から生殖成長に切
り替えが出来なかったらしいと見えて、莢はまばらにしか見えません。樹は大豊作、
実は大不作の年になりました。青田ほめというやつだ。 とほほほ・・・・
しかも、窒素が効きすぎているものだからハスモンヨトウをはじめ、虫たちのオン
パレードです。最初のうちは手取りしていましたが、多勢に無勢の戦で、矢尽き刀折
れた武将を踏みつけながら雑兵どもが走り抜けてゆく、そんなところです。葉は喰わ
れて穴だらけ。茶色の葉の多いこと。チキショウ〜め。
一度でいいから奥の手を使ったら・・・・と勧めてくれた人もいたんですけどね。
奥の手の意味のわからんやつは読むな!
早物の稲穂をチュン害から守るために、脇の道にくず米を朝昼晩と撒いてきまし
た。
スズメに雉鳩にカラスと、みんながやって来ていましたが、周囲の全部の穂が垂れて
きたので解団式をしたようです。撒いたくず米がなかなか無くなってくれません。
毎日エサをやっているとかわいくなってくるもので、撒いたらすぐ降りてきて拾っ
ていたのが、拾ってくれないとなるとさみしいものです。
60kg用意していたのがまだ半分以上残っています。精白して犬のエサになりそうで
す。
以前の人のウンチの話題に戻るのですが。。。
これはずっと以前に書いたことがありますし、現代農業へも記事を載せました。
話はきっと明治の末から昭和の初期にかけての頃だと思います。
我が家から3kmのところに吉井川という一級河川があります。川といっても河口で、
瀬戸内海まで2kmもないくらいです。
そこに神戸からウンチとシッコの混合物を乗せた大きな船、人呼んでクソ船が着い
ていました。近くの畑は砂地で野菜の産地です。50リットルを1荷として肥たごで野
菜農家は購入していました。値段を聞いておくんだった。
農村からは野菜が行き、都会からは栄養汁が還っていたのです。今風に言うと循環型
社会が構築されていたわけですね。
この先は余分な話です。
購入の元締めは、大事な商品を明石の海水で薄めていないか指を浸して口に入れ、
品定めをしたそうです。味見をすればわかったらしい。塩辛いと感じるのだろうか、
それとも臭みが薄く感じるのでしょうかね。私は小心者なので試したことがありませ
ん。
その大事な積荷の中にシッコをした者がいて、たいそう叱られたらしい。「でぇ〜
じな積荷にションベンかけるたぁどういう魂胆でぇ」 負けそう・・・・
若い時に古老と一杯飲んだ時に話してくれたホントの話です。ノンフィクションだ
よ。
この話を知っている者が今では私以外にいるのかどうか。
最近仲間になった人は初耳でしょう。参考までに話しました。
食事の時にはこの話は思い出さないほうがいいですよ。
夜もふけたので泡盛呑んでションして寝よっと! じゃぁまたねぇ〜〜っ
自然を愛し環境を考える百姓 赤木
歳通
43度の泡盛は効
くぅ〜〜〜
9/21 宮城の秡川さんから「Re海外での人糞活用に関する文献など」
秡川@仙台です。
京都の平賀さん、海外の活用事例に関する文献や関連サイトのご紹介、
ありがとうございました。
海外にもいろいろな工夫や取り組みがあることを知り、心強く思いました。
また、街中の暮らしではできないことができるのが農村の魅力のひとつで、
それを活かすことはとても大切なことだ!というジョーシキに改めて気付か
されました。とはいえ、「水」処理イデオロギーの攻勢はますます強まり
つつあるような昨今の情勢のように思われます。
そもそも微生物の希少性を「清浄さ」として求める「水」でうんちを処理
することが、いかに「???」なことなのか、考えさせられますね。
結局、微生物に処理を任せるしかないというなら、巨額のコストをかけて
迂回的な処理を選択するよりも、ダイレクトに微生物の塊である「土」を
利用した方がずっと賢いはずですね。
「土」を使うというアイディア自体は、少なくとも江戸時代から日本にも
あったはずなのですが、どうして、水洗、下水道という方向に技術開発が
突き進んできてしまったのか?
改めて考えると、少し不思議な気がします。
9/20 京都の平賀さんから「海外での人糞活用に関する文献など」
京丹波町の平賀緑です。
海外での人糞の利用について、全体的な調査ではないですが、いくつか書籍を
紹介しています。
水洗トイレならぬ、土洗トイレとか、まあ、こんなのもあったんだなあという
ご参考までに。
香港にいたころ、中国人はレタスでもキュウリでも野菜はぜんぶ加熱して料理
するけど、それは昔から畑に人糞も使っていたため「野菜はすべて加熱するべ
し」と考えるようになったと聞いたことがあります。
とりあえず、ここ数年間は自分のブツは自分で堆肥化してるので、トイレのな
いところでも生活していける自信はつきました。
ジャーニー・トゥ・フォーエバー「ひゅーまにゅあ」のページより
http://journeytoforever.org/jp/compost_humanure.html
ムールの土砂散布式便所
1859年、家族の汚物だめの不潔さに業を煮やしたイギリス・ドーセット州のヘ
ンリー・ムール牧師はそれを埋めてしまい、家族に今後はバケツに用をたしそ
の中身を庭の穴に埋めるよう言い渡した。埋めた汚物は数週間の間に消え去
り、ムール牧師の庭はすばらしい野菜畑となった。このことから汚物処理には
水より乾いた土を使った方が良いと考えた牧師は「汚物だめと水洗便所による
病害・悪臭・経費・無駄の代わりに国民の健康と富を築く方法」と称したパン
フレットを作成し、ムール土洗便所の熱心な啓蒙者となった。牧師の土洗便所
は特許も獲得しており (No 1316, 1860)、ヴィクトリア風のおしゃれな容器に
は、乾いた土を「フラッシュ」するレバーや、立ち上がると自動的に土が流れ
る装置が付いていた。マホガニーやオーク材で作られた豪華な便器もある。流
す土は乾かして悪臭や不潔感に悩むことなく7回まで再利用できた。生成物は
強力な肥料で、牧師が近所のカブ畑に施したところ、過リン酸肥料を使ったと
きより3割大きなカブに育った。「万人のための肥料」とムール牧師はイギリ
スの小農民たちに手紙を書いている。土洗便所は学校や兵舎でも使われ、科学
誌『ランセット』は土洗便所を賞賛する記事を掲載し、かのヴィクトリア女王
も土洗便所をお持ちだったとか。でもその後、心ない「便利さ」で水洗便所が
広まり土洗便所は忘れられてしまった。今こそ土洗便所の復活する時かもしれ
ない。
http://www2.exnet.com/1996/01/15/science/science.html
『(農村部の公衆衛生に関するエッセイ)Essays
on Rural Hygiene』by
George Vivian Poore, MD, second edition, 1894, Longmans,
Green,
London.
Poore's earth tests: earth in the funnel, urine in the
top, water out
the bottom
ポア博士はこの本に「農村部の公衆衛生」との表題をつけた。なぜなら「健康
を向上し病害を防止するための科学的方針の実現は農村部でのみ可能である。
都市部では功利的なご都合主義によって衛生設備が作られている。」博士は詩
人クーパーの「神が農村をつくり、人間が都市をつくった」との言葉も引用す
るなど農村部に期待していた。農村部では「住民は完璧な衛生設備を築くこと
ができ、その所有地内で完結し自らその利益を得ることができる。有機物を循
環することは自然の法則に従ったことであり、堅実な衛生科学が基づくことが
できる唯一正しい基礎だからである」博士は20年間の研究を経て下肥を日常的
に利用する園芸システムに成功した。簡単な話、肥を埋め、その上に作物を栽
培し、博士はそれが衛生的であることを科学的に証明した。「農家や園芸家は
衛生の片腕となる人たちである」と博士は言う。その後のインドール式堆肥シ
ステムが都市部にもこの事実を適用することを可能にした(下記参照)。
『(土壌の肥沃と汚水 南アフリカにおける都市廃棄物の試験的事業)Soil
Fertility and Sewage -- An account of Pioneer Work in South Africa in
the Disposal of Town Wastes』 by J.P.J. van Vuren, with a foreword by
Lady Howard, 1949, Faber & Faber,
London.
南アフリカで10年間に渡り都市廃棄物と屎尿をインドール式堆肥システムでリ
サイクルした事業の詳細な成果と科学的調査。この本が出版されたころ、南ア
フリカでは毎年50万立方ヤード(38万2,000立方メートル)の都市堆肥が作ら
れ、良質堆肥として販売され大きな収益をあげていた。著者は根本的な目的を
忘れていない。「都市と町は数世紀に渡り真の墓場となっていた。多くの場
合、有機物は燃やされ埋められ忘れられていた。これほど破壊的な犯罪とも言
える行為が今後続かないようにすることは私たちの義務であり権利である」こ
の本は地表25センチの土壌に捧げられている。
『ハワードの有機農業』に掲載されたヴァン・ヴュレン著『南アフリカにおけ
る都市廃棄物の利用』は手作り企画の「小さな農場図書館」に掲載している
(英文)。
有機農運動に大きな貢献をしたアルバート・ハワード卿は森林に自然が取る手
段の完璧なモデルを見ていた。「熱帯地域の町や村の廃棄物を正しく処理する
にはどのようにすればよいか、森がその基本的な方針を示している。木の残骸
や動物の死体はその他の森の廃棄物すべてと混ぜられ、森の床の上で菌類とバ
クテリアによって腐植土に変えられている。この過程は始終衛生的に行われ悪
臭も発生しない。自然が森の廃棄物を処理する手段は、それらに酸素を送り続
けることによって木々が必要としている肥料に変えることだ。農業と都市廃棄
物からインドール式堆肥作りによって腐植土を製造することは、森と同じ基本
方針に基づいている。」都市廃棄物と屎尿からインドール式堆肥を作る技術と
成功例は「町村廃棄物からの腐植土製造」に記されている。(小さな農場図書
館にオンライン掲載)
『(文明の廃棄物)The
Wastes of Civilization』 by J.C. Wylie, 1959,
Faber & Faber,
London.
これは人類が無駄にしてきた廃棄物の歴史である。その歴史は新石器時代の貝
塚から始まり、中世ヨーロッパのゴミがまき散らされた街道と病気が充満した
家々、そして一見きれいに見える今日の都市まで続いている。ただ今日の都市
では廃棄物を視野から隠し、ひどい状態のゴミ処理場や汚染された川・海岸、
疲弊した土壌から目を背けているにすぎない。「動物も植物も、すべての有機
物の役割は土壌の肥沃度を維持することである」と数十年前にWylieは記して
いる。すべての有機物をシステム化された堆肥作りによって経済的かつ衛生的
に処理し、長い人類の無駄の歴史に終止符を打つ一冊。
『(都市廃棄物から肥沃土を作る)Fertility from Town Wastes』
by J.C.
Wylie, with a Foreword by Sir Cedric Stanton Hicks, 1955, Faber
&
Faber, London
Mother Earth誌はその書評で「最も重要な功績だ。いくら推奨してもしすぎる
ことはない」とこの本を紹介している。Spectator紙は「喚起的な文学」と賞
する。ゴミや便所に関する本にこれほどの賞賛が寄せられるとは思わないが、
実際この本は上手く書かれている。有機・非有機廃棄物の性質、価値、その扱
い方から廃棄の仕方まで詳しく知的に記され、それが土壌の肥沃と食糧生産問
題に関係していることを示している。50年前に数々の著者によって解決策が明
示されていたのに、その後世界の都市行政や衛生関係者は、膨大な量の飲み水
を下水のために無駄にし、それで汚染を引き起こし、広大な土地をゴミ埋め立
てに使い、それでまた汚染を引き起こし、そして肥沃土と食糧の問題を抱えて
いる。言い逃れはできないはずだ。
1970年代末に中国で下肥と都市ゴミを堆肥化している様子
『(コンポスト 衛生的な廃棄物処理と有機物の再利用)Composting
--
Sanitary Disposal and Reclamation of Organic Wastes』 by Harold B.
Gotaas, Professor of Sanitary Engineering, Department of Engineering,
University of California, Berkeley, California, USA, 1956, World
Health
Organization, Geneva.
Gotaas博士はハワードのインドール式堆肥作りを基に世界中からの実例を参考
にしながら、都市部・町・村・農場の廃棄物と糞尿を衛生的に堆肥化した。試
験的な業績は1950年代にバークレー校で行われている。「健康を守るために有
機ゴミを衛生的に処理することと廃棄物を農業で利用するために用意すること
は両立できる」と博士は言う。この本では「すべての衛生的過程の基本である
堆肥作りの根本的要素」について議論されている。
アメリカのトイレの歴史(History of Plumbing in
America)
http://www.theplumber.com/usa.html
9/16 宮城の祓川さんから「Re宮城県北地方の田力つながり田んぼ」
秡川@仙台です
宮城県の高奥さん、以下の貴重な情報のご提供をいただき、
ありがとうございました。
----------------------------------------------------------------
「宮城県北地方で、私とつながりのある「農薬を使わない」稲作農家
の水稲営農状況について、下記に情報提供させていただきます。」
http://park17.wakwak.com/~suhi25/06tarikifarmer/00tarikimap.htm
----------------------------------------------------------------
以下、素朴な感想です。
無農薬の稲作を実践されている方々に感謝したいと思いました。
ご紹介いただいた方々の中には面識のある方もありましたが、
説明を読ませていただき、改めてそれぞれの方のすばらしさに
感じ入ることができました。
稲作が何千年の歴史を持つものかは知りませんが、野生種の存在しない
日本に「水田」でイネを主体に栽培する方法が伝来して来てから、
せいぜい二千年くらいの歳月しか経過していないように思います。
また、二千年、百世代に満たない日本人の営みの中で農薬や化学肥料が
広く導入され始めたのはわずか五十年(一、二世代)前のことでしょう。
戦後、日本の農家を取り巻く社会環境こそ大きく変化してきたものの、
根から水分や栄養分を取り込み、太陽光を受けて光合成を行うイネの
生理生態に大きな変化はないように思われます(もちろん、技術や
嗜好に合わせた育種の存在意義は大きいのでしょうが...)。
身近にある入手可能な自然資源(下肥、厩肥は半自然?)を利用し、
多収技術に取り組んできた農家の方々にとって農薬や化学肥料は
大きな福音であると同時にさまざまな災厄を呼び込むものであった
ように思われます。すなわち、生産過剰、価格低下、食の軽視、環境汚染...、
その全体像は到底、浅薄な私の知識の及ぶところではありません。
「無いから使えなかった」時代に、さまざまな技術を
生み出してきた知恵が失われつつあるかのように見えた
私の目は節穴であって、それは目立たぬように、
ひっそりと暮らしている方々の中にあるので、
見えにくいだけなのでしょう。
「あっても使わない」無農薬の稲作のこころは、
それぞれの生き方に深くかかわっているように思えてきました。
以上、素朴な感想でした。
9/16 福井の富田さんから「藤本農園見聞録20070914」
池田町の冨田でございます。
平成19年9月11日に大臣記者会見がありました。
こちらにて見ることができます。
http://www.maff.go.jp/j/press-conf/min/070911.html
また、内容を以下に引用しました。
ここから本文です。
若林農林水産大臣記者会見概要
日時
平成19年9月11日(火曜日)11時9分〜11時41分
於:本省会見室
・・途中省略・・
記者
全然違う話なんですけれども、昨日、福井県の鯖江市にある藤本農園という有機のコメの業者が、
有機を謳っていながら化学肥料を使っていて、登録認定機関から認定の取り消し通知も受け取った
ようなんですけれども、有機の第一人者、藤本さんがそういう違反なことを続けていたということで、
有機JAS制度そのものが揺らいでいるんではないかなと思いますけれども、これについて大臣の
ご見解を。
大臣
揺らいでいるかどうかというのは、有機JAS制度全体の中でそういう不届きなものが出てきた、出て
きたものについてはきちっと対処して、それを制度から排除して不当な利益を得ることがないように
していくというのが制度ですからね。
そういうものが出てきても、それをきちっと排除して是正措置が講ぜられれば、別に揺らぐという問題
ではないと思うんです。
ただ、おっしゃるように藤本農園というのは、全体の有機米の中では約3パーセント弱、2.8パーセント
のシェアを持っている業者、生産者なんですね。ですから、大手といえば大手、2.8パーセントを占め
ているということですから。
これが化学肥料を使いながら有機であるかのような表示をしていたというのは、誠に不届きな話です
からね。
登録機関は登録を取り消したという話でありますが、よく聞いてみると、取り消しのための所要の手続
きを踏んでいないと登録機関の方が。ということですから、的確な取り消しが行われていないというふ
うに我々は判断を今しているんです。
ですから、その意味では、この有機米のJAS法違反ということがあるわけですから、この藤本農園に
対しては業務改善命令などを発することができるわけですし、それに伴う是正措置も求めることが
できるというふうに考えているんですね。
・・途中省略・・
記者
基本的には認定機関が見逃し続けてきたということなんですけれども。また、認定機関の検査員が、
農家の人が兼務しているケースが多いということで、同じ仲間ということで、手心を加えるということが
どうしてもあるというような証言もあるんですけれども、そういう意味で認証制度が非常に問題がある
んじゃないかと考えるんですが。
大臣
今、貴方がご指摘になったようなことが事実であるとすれば、これは認証制度の信用性を揺るがす
ことになると思いますね。
ですから、登録機関、これはいくつもあるんですけれども、有機についての登録認定機関というのは。
それぞれの認定機関が的確な認定をしているのか、その認定後のアフターケアとして、それらをどう
いうふうなシステムでやっているのかということについては、調査をしてみましょう。そこはね。
・・以下省略・・
**************************************************************************
平成19年9月13日農水省よりプレスリリースがありました。
以下のサイトにて確認できます。
http://www.maff.go.jp/j/press/syouan/kansa/070913_1.html
また、下記にその内容を引用しました。
ここから本文です。
平成19年9月13日
農林水産省
有機農産物の認定生産行程管理者である藤本農園 藤本 肇に対する有機JAS
マークの不正貼付等に係る措置について
◎概要
有機農産物の認定生産行程管理者である藤本農園 藤本 肇(PDF:25KB)
(所在地:福井県鯖江市北野町1−10−23以下「藤本農園」という。)に対して、調査を実施しました。
その結果、藤本農園が、
(1)有機農産物ではない米に、不正に格付を行って、有機JASマークを貼付していたこと
(2)有機農産物ではない米に、「有機栽培米」と表示していたこと
を確認しました。
このため、藤本農園に対し、2の(1)の行為については、JAS法第19条の2の規定に基づく格付の
改善命令及び有機JASマークの除去又は抹消命令を行うため、2の(2)の行為については、JAS法第19条
の16の規定に基づく有機表示の除去又は抹消命令を行うため、行政手続法第13条第1項第2号の規定に
基づく弁明の機会を付与する手続きを行いました。
1.
経過
(1)平成19年8月31日、9月11日に、農林水産省北陸農政局及び独立行政法人農林水産消費安全技術
センターが、有機農産物の認定生産行程管理者である藤本農園に対して、立入検査等を実施しました。
(2)その結果、藤本農園は
[1]平成17年産及び18年産米の少なくとも88トンについて、化学肥料を施肥したおそれのある用土で苗を
育苗したため、有機農産物の日本農林規格に規定する生産方法に従ってないことを認識していたにも
かかわらず、不正に格付を行って、有機JASマークを貼付していたこと
[2]平成18年産もち米の一部104kgについて、有機農産物ではないにもかかわらず、「有機栽培米」と表示
していたことが確認された。
[1]の行為は、農林物資の規格化及び品質表示の適正化に関する法律(昭和25年法律175号。以下「法」という。)
第18条第1項(別紙参照(PDF:18KB))の規定に違反するものです。
[2]の行為は、法第19条の15第2項(別紙参照(PDF:18KB))の規定に違反するものです。
2.
措置
有機農産物の認定生産行程管理者である藤本農園に対し、法第19条の2(別紙参照(PDF:18KB))の
規定に基づく格付の改善命令及び有機JASマークの除去又は抹消命令並びに法第19条の16(別紙参照」
(PDF:18KB))の規定に基づく有機表示の除去又は抹消命令を行うため、本日付で、行政手続法第13条
第1項第2号(別紙参照(PDF:18KB))の規定に基づき弁明の機会を付与する手続きを行いました。
※本件について、北陸農政局でも同様のプレスリリースを行っています。
消費・安全局表示・規格課
食品表示・規格監視室
生産行程監視班
担当:高崎、角田
代表:03-3502-8111(内線4485)
直通:03-3502-7804
9/15 宮城の高奥さんから「宮城県北地方の田力つながり田んぼ」
こんにちは、山下さん。
宮城県の高奥です。
毎度、農薬を使わない稲作についての情報を配信頂きありがとうございます。
こちらのほうも宮城県北地方で、私とつながりのある「農薬を使わない」稲作農家
の水稲営農状況つにいて、下記に情報提供させていただきます。
http://park17.wakwak.com/~suhi25/06tarikifarmer/00tarikimap.htm
今回、上記ホームページを作成するにあたり、
農薬を使わない農家廻りをしながら、いろいろお話を聞かせてもらったのですが、
それぞれの田んぼ毎に土壌や利水、雑草の履歴条件や営農形態、さらには隣近所との関係など
いろいろ稲作条件は異なり、その条件毎に、みなさんいろいろ工夫されておりました。
なかなか、これだと言った農薬を使わない稲作方法も確立されないわけですが、
それゆえに、田んぼの特徴に合った稲作を追求できるわけで、
そういった部分に稲作のおもしろさがあるんだなと感心しております。
皆さん師匠であり、そしてまた弟子であるわけですね、
そんな関係の「田力つながりの田んぼ」であります。
9/13 福井の富田さんから「藤本農園見聞録20070911」
共同通信の取材に対するコメントについて、書きます。
「農水省からは意図的にやったとみられているが、そうではない。消費者をだます
つもりはなかった」
・・・言葉では何とでも言えますが、やっていらっしゃることは自身の身勝手な農法を勝手に正当化し、
偽装していたわけで、藤本氏のお米を購入された消費者や藤本氏の講演を聴いた農家など、すべて
の人をだます意図があったのです。
一番の問題は、無肥料栽培米という現代ではある意味特殊なお米を望んでいた消費者に対して、
去年までの6年間、多量の肥料入り栽培米を無肥料と称して販売し、暴利を得ていたことは消費者を
騙すこと以外なにものでもありません。その上で、去年までの反省を踏まえて正直にしなければいけない
今年、「苗は無肥料栽培をした」と嘘をつき続け、実際は化学肥料栽培していた事実は悪質な行為と
言わざるを得えません。
無肥料栽培のお米を購入された方には、化学物質に敏感で普通のお米が食べられない体質になって
しまった方や自身の信条や健康を願う気持ちから購入された方が多くいらっしゃったと思います。そのような
ことをわかっていながら肥料入りのお米を無肥料栽培米と称して販売することは極めて悪質な行為といえます。
また、2005年春には、苗が足りなくなり、近所の農家から調達した苗に殺菌・殺虫の箱施用農薬が
撒いてありましたが、その苗をそのまま有機JAS圃場に植えていたこともありました。これは私が目撃した
ことで、先日藤本さんと話した時にもそれは認めていました。意図的に入れたのでは無いと言っていまし
たが、誰の目にも明らかな農薬の粒が見えるものを植えたわけですから、これは意図的です。農薬入りの
苗を植えない選択は出来た訳ですから。
肥料すら望まない購入者のことに思いをはせることが出来たなら、農薬など絶対に入れることは出来ない
でしょう。
「三年ほど前から化学肥料を使って育てる苗と、使わない有機栽培の苗を一緒に
育てており、家族が混ぜて植えてしまったようだ。家族経営なので管理が行き届か
なかった」
・・・まず、三年前から化学肥料を苗に使っていたとありますが、私には6年前からと言いました。
その後民間稲作の調査では3年前からと変更しています。(6年前、イセキ北陸の培土センターの
宮本部長と籾殻入り床土の導入を図り、しかし水に浮く、吸水性が足りない、苗に穴があくなどの
失敗をし、導入を諦めた。その時に化学肥料の床土を納品して無肥料ということに処理しようと取り
決めたと。)
化学肥料を使って育てる苗と、使わない有機栽培の苗を・・・とありますが、そもそも有機栽培の苗は
ありません。
藤本さんの言われる有機栽培苗とはイセキ製造の無肥料培土ラブリーにグアノ等の有機質資材を
入れた苗のことを言うのだと思いますが、実際にそのような苗はありません。
いくらグアノを入れたところで、無肥料床土と化学肥料の床土の生育差は歴然としたものがあります。
そのような差は一切見られませんでしたので、全て同じ窒素成分を含んだ床土であったことは想像に
難くありません。
また、今年、イセキ北陸から購入したとする床土67tのうち、24tは無肥料床土だったと主張して
います。しかし、今年の苗においても生育差は全くといっていい程見られませんでしたので、信じがたい
ことです。無肥料と化学肥料の苗の差は以前の苗実験の写真でも明らかです。
また、イセキ北陸から納品される床土(1tフレコン)を藤本農園に置くときに無肥料・化成の区別を
一切していませんでした。
それどころか、通常貼られているラベルが全く貼られていませんでした。
これは、イセキが出荷する段階で意図的にラベル(札)を剥がしていた可能性を示し、また、藤本農園
側で無肥料と化成との区別をする意図が無いことを意味します。混入などではなく、意図的に区別して
いなかったということです。
私は、区別していなかったのではなく、全て化成肥料入り床土であったから区別する必要が無かったのだ
と見ています。
イセキから購入する床土に化学肥料が入っていたことを家族には一切話していませんでした。
これは藤本さんが私にも話しましたし、稲葉先生の聞き取り調査の時にも証言しています。
ですから、家族は化成肥料入りの苗があることを一切知らされていなかった訳ですから、「家族が混ぜて
植えてしまった」ということはあり得ません。苗の区別管理が全くなされていなかった訳ですから、区別して
植える意志は無かった(もっと言えば全て化成苗となっていたのですから区別する必要が無かった)といえます。
こちらはイセキの床土(フレコンタイプ)に付けられる札
(寒)は化学肥料入りを示し、寒地用と暖地用を(寒)と(暖)で区別しています。
イセキの培土センターの工場長は化学肥料入りの土には全て札を付けていると言っています。
藤本農園に納品されるフレコンにはこの札は一切ありませんでした。
「私の指示、管理が行き届かなかったのが原因」
・・・苗に関しては、一切の区別管理の指示・管理は無かったわけですから、この発言も事実では
ありません。
また、有機JAS圃場に化成入り液肥(セイワペースト3号)(藤本氏は2号と主張)を投入したの
も藤本さんと作業者との間で電話で相談した上で投入したのですから、指示・管理が行き届かなかった
のではありません。
通常、有機栽培を心がける場合、化成肥料や農薬の混入には細心の注意が払われるはずです。
一切の区別管理がなされず、意図的に使用したわけですから、「ミス」や「間違いがあった」というレベル
ではありません。
このようなコメントをすること自体に真面目な意志が見られないと思います。
「JASの認定が外れても、信条である自然循環型の農業は続けて
いきたい」
・・・一見自然循環型農業というと聞こえはいいですが、本当に信条でしょうか。
苗に化学肥料を使うこと、化成入り液肥を投入してしまうことが「信条」とする
自然循環型農業と合致するのでしょうか?そもそも自然循環型農業は信条ではなかったと
言うべきではないでしょうか?
市販購入肥料である「ぼかし大王」や液肥、これらを投入する農業を自然循環型農業
とは言いません。この程度の有機農業であるならば、誰しも行っている普通の農業です。
自然循環型農業を信条とするならば、他から調達したとはいえ、農薬使用の苗を植える
ことはあり得ないと思います。「信条」などという聞こえのよい言葉を使うことが藤本
さんの技です。
藤本さんは、投入した肥料は「肥料では無く、微生物のエサ」と言います。これも
非常に詐欺的言い方です。微生物のエサにならない有機質肥料などありません。また、
微生物のエサというニュアンスにはごく僅かの使用量ということを匂わせていますが、
実際は窒素成分において通常の有機栽培農家と変わらない投入量ですから、ごく僅かと
いうのは、意図的に誤解を招かせる言い方です。
農薬ではなく消毒だというのと同じことです。使っている資材・量は同じなのです。
以上、池田町 冨田善嗣
9/13 福井の中出さんから「藤本さん関連で」
私は藤本さんと面識はありません。
私が農業に関心を持ち始めた6年ほど前、後で分かったことですが藤本さんの作業場前付近に行った事があります。
その時は乾燥作業をされていたように思います。それは、微かな粉塵の感触で分かりました。こんな街中でこれだけで済むのかと、外から見える範囲で分かったことは水タンクのような物で粉塵を防除しているように思いました。
これだけの設備を整えて街中で農作業をしている人がいる。
畜産農家の人の中には先住していながら宅地化が進んで郊外に移転しなければならない人がいること、また畜産を継続できない場合もあることを考えると、これは当時の私には農業にがんばっている人を感じ取った新鮮な出来事でした。
富田さんが示された福井新聞の記事を私も読みました。
福井新聞は中立的な報道をしていると思います。
9/12 富山の予果さんから「農と食に関連する偽装事件の根本解決策」
野生動物はもとより,昔は人間も,食物を手に入れるために多くの,時間,体力を割か
ざるを得なかった。
まず,食ありきですからね。数十年前まで,この過疎地の村でも,そばを主食としてお
り,石臼でそばを挽いており,朝の分が終わったと思ったら,次の食事の分。その家
の年寄りは多くの時間を石臼の前で過ごさざるを得なかったといいます。
「農」というとりわけ,厳しい仕事を人任せにし,また,「食」を人任せにできれ
ば,人は大きな時間を手にいれることができます。体力も消耗せずにすむ。しかもそ
れを購入するだけのお金が他の職業のほうが十分に手に入るのです。
消費者側でいえば,自分の口に入るものを最初から最後まで,人任せにしてしまえ
ば,何が口に入るかわかりません。消費者には,何ができるのでしょうか。日々流通
している膨大な食品を,誰にもチェックなんてできません。取り締まったところで
おっかけっこです。だいたい取り締まる側にも本質がわかっていないので,いつだっ
てその場しのぎです。
消費者は顔の見える生産者から直接買えなければ(買いに行く,援農するなど),ま
た加工食品は覚悟して購入することです。自然食をうたう流通業者にもあやしいもの
があります。
「食」業は「農」業以上に資本主義経済の論理にさらされざるを得ないわけですか
ら。言わずもがなです。
「農」の側に立つほうには,それを支える動機の弱い人,体力が足りない人,,継続
するのに適切な助成金をもらえない人,消費者と顔の見える関係が築けない人は,低農
薬,化学肥料使用でよいのではないかと思います。それでも十分世のため,人のため
です。大体無農薬だけで,この世の人口を支えてはいけないのですから。「農」自体
がボランティアなのですから。体をこわさないうちに方針をかえたほうがいいと思う
のです。
若くして有能な有機農業者が死亡したりするのを知ったとき,もっと楽にやって生き
続けて欲しかったと思います。
無農薬のもの食べましょうと言ってくれている環境運動家の呼びかけは私には必ずし
もじゅうぶんではない。
無農薬のものを食べたい時はお百姓さんのところに手伝いにゆくか,手伝えない人は
低農薬でよいとするか,「農」,よりよい「食」を支えるために,あなたが「農」と
「食」に関わらずに得ることのできた収入から,できるだけたくさんお金を出して買
いましょう。それは必ずやあなたのためになります。と私なら言いたいですね。
このメールを出そうというきっかけになった,富田さんのレポートはそれ自体は大
事なことをやってくださっていると思います。まして藤本農園さんをかばうものでは
ありません。人は事件によって何を学ぶのかが大事なのだと思うのです。
☆=☆=☆=☆=☆=☆=☆=☆=☆
自家焙煎珈琲 神実(カムミ)
浜田 重人,予果
HPアドレス
http://www.cty8.com/kamu/
〒939-2333
富山県八尾町桐谷1673
T&F 076-454-5536
☆=☆=☆=☆=☆=☆=☆=☆=☆
9/11 富田さんから「藤本農園関連」
以下11日付けの県民福井の記事内容です。
後ほど釈明内容の疑問、相違点を指摘したいと思います。
「有機マーク米」に化学肥料
藤本農園(鯖江)を調査 農水省
農水省は10日、化学肥料を使用したコメに、有機農産物を対象とした「有機JASマーク」
を付けて販売した疑いがあるとして、有機米栽培で知られる鯖江市の「藤本農園」(藤本肇代表)
を日本農林規格(JAS)法違反の疑いで立ち入り調査したことを明らかにした。
7月末に立ち入り調査を実施。結果を分析中で、違反が確認されれば藤本農園に対して改善
命令と、商品から有機JASマークを外す「除去・抹消命令」の処分を出す。
藤本農園は作付け面積が約25万平方メートルと大規模な有機米の栽培農家で、全国的にも
高い評価を受けていた。また、商品は有機食品の宅配業者などを通じて全国に流通。だが、
有機JAS法で禁じられた化学肥料を苗に使ったコメを販売していた疑いが持たれている。
藤本代表は共同通信の取材に対し「約三年前から稲の床土に化学肥料が混ざってしまって
いた。商品回収を含め検討したい」と述べた。
またこの日、藤本農園を有機農産物生産者に認定した「民間稲作研究所認証センター」
(栃木県)は「臨時検査などの結果、違反事実を確認した」として、藤本農園について、JAS
法に基づく有機農産物生産者としての認証取り消しを決めた。
「意図的ではない」
日本農林規格(JAS)法違反の疑いで農水省の立ち入り調査を受けた藤本農園の藤本肇
代表は十日、共同通信の取材に対し「農水省からは意図的にやったとみられているが、そうでは
ない。消費者をだますつもりはなかった」と説明した。
藤本代表は「三年ほど前から化学肥料を使って育てる苗と、使わない有機栽培の苗を一緒
に育てており、家族が混ぜて植えてしまったようだ。家族経営なので管理が行き届かなかった」
と釈明。
「関係者に迷惑を掛け大変申し訳ない。販売したコメの回収を検討している」と話した。
*以下は11日付けの福井新聞の記事内容です。
前半部分は先ほどの県民福井等の記事と全く同じ内容ですが、
コメント部分が少しありますので、コメント部分を記載します。
以下記事内容(コメント部分のみ)
**************
藤本農園の藤本肇代表は「約三年前から稲の床土に化学肥料が混ざってしまって
いた。商品回収を含め検討したい」としたうえで、
「今回の処分を厳粛に受け止めたい。私の指示、管理が行き届かなかったのが原因で、
消費者をはじめ関係者の皆さんの信頼を裏切ることになり申し訳なく思っている。
JASの認定が外れても、信条である自然循環型の農業は続けていきたい」と話している。
**************
9/11 福井の富田さんから「藤本農園関連2通
(9月10日21時30分受信)
福井県池田町の冨田です。
藤本農園に関する新聞報道がありました。
http://kumanichi.com/news/kyodo/index.cfm?id=20070910000295&cid=economy
「化学肥料が混ざってしまった」、のではなく、意図的にまぜていた、です。
(9月11日18時受信)
福井県池田町の冨田です。
10日午後、事務次官記者会見で藤本農園に関する発言がありましたのでその内容について
以下のサイトにて確認できます。
http://www.maff.go.jp/j/press-conf/v_min/070910.html
また、以下は上記サイトより文章を転載しました。
--------------------------------------------------------------------------------
白須農林水産事務次官記者会見概要
日時
平成19年9月10日(月曜日)14時00分〜14時20分
於:本省会見室
主な質疑事項
・・・途中省略・・・
有機JAS違反の疑いについて
記者
福井県鯖江市の藤本農園という有機JASの認定を受けたコメ農家が、実は3年以上も前から化学肥料を
使っていたということで、現在農水省が調査に入っているということなんですけれども、現在の調査の状況
というのを教えてください。
次官
ただ今お話の福井県の藤本農園の関係でございます。この件につきましては、現在、有機農産物のJAS
規格ということに違反をしておると、要するに有機農場でありながら化学肥料を使っておると、使用しておる
といったようなことで、その疑いがあるということで調査を実施しているところでございます。
今後の調査によりまして、この藤本農園が化学肥料を使用した農産物に有機JASマークを付していたと
いったような、このJAS法違反の事実というものが確認をされますれば、藤本農園に対しまして厳正な措置
を講じるということになるわけでございます。
現在、調査のまさに最中ということでございますので、ちょっとそれを見させてもらいたいというふうに考えて
おります。
記者
登録認定機関がずっとそういう違反を見逃してきたということになると思うんですけれども、有機JASの認証
制度の仕組みに問題があるのではないかという気もするんですが、それについてはどうお考えでしょうか。
次官
ただ今の登録認定機関が云々(うんぬん)という点については、申し訳ないですが、まさに違反の疑いという
ことで現在調査中ということでございますので、この調査結果を見た上で、よくその点についても検討して
まいりたいというふうに考えております。
記者
現在、登録認定機関も今まさに話し合いの最中で、今日にも認定取り消しの方針を決めるということなんです
けれども、法律が変わって認定機関が登録取り消しをしてしまうんですけれども、農水省としてはどういう立場
での調査を今しているところなんですか。
次官
現在私どもとしては、いずれにしてもこの有機農産物のJAS規格ですね。有機農場に化学肥料を使用して
おるという疑いがあるということですから、それについて本当にそういうことを、化学肥料の使用をしておるか
どうかということを確認する調査を実施しておるというふうに承知をいたしております。
−以上−
〒100−8950
東京都千代田区霞が関1-2-1(代表電話)03-3502-8111
Copyright:2007 The Ministry of Agriculture,
Forestry and Fisheries of Japan
9/11 宮城の祓川さんから「循環型とは?」
秡川@仙台です。
福井の塚本さん、「人糞、有機JASに不適合の理由」に関する情報開示、
ありがとうございました。
「農業の循環」を物質循環と生物循環(これも結局は物質循環に還元されますが、
食物連鎖のような生命体間の物質循環とお考えください)に分けた場合、後者の
視点が著しく欠けている考え方だと思いました(偏見かもしれません)。
確かに、下肥を含む「有機肥料」はいわば両者の統一体であり、仕分けは難しい
とは思いますが、工業的な視点で<使える/使えない>をより分けていく考え方
の中に「有機農業」を押し込めるだけでは、気候・風土や食習慣から乖離した妙
ちくりんな循環型(?)農業ができあがってしまうかもしれませんね(被害妄想
かもしれません)。
>
ヨーロッパではその(人糞を肥料として使用する)習慣が無かったので
> コーデックスガイドラインから外れた
>
日本でも将来はコーデックスガイドラインに合わせた基準にしたいので、
>
規格審査会では人糞を使用できる資材から外した。
「持続性」という長期の時間軸を重視するのであれば、それぞれの地域独自の
気候・風土を踏まえて培われてきた農法の独自性が尊重されるべきかと思われ
ます。先のメールで書きましたように、下肥利用は日本のある地域においては、
合理的な地力維持方法として位置づけられていたものと考えています。
いずれにしても、今回の議論から下肥利用が絶滅の危機に瀕していることと、
その再生・保存への道がきわめて厳しいことを理解させていただきました。
貴重な情報やご意見をいただいた皆さま方に心より御礼申し上げます。
9/11 宮城の祓川さんから「情報と知識」
秡川@仙台です
池田町の富田さん、岡山の林さん、管理人のやまちゃん、
貴重な情報をありがとうございました。
>
江戸時代と同時代において、すくなくともヨーロッパでの
>
人糞利用はなされていなかった可能性が高いということですね。
衛生面に関する彼我の感覚の差以前の問題として、そもそも家畜飼養が
一般的であったヨーロッパ農業では、下肥利用の必要性に対する農民の
意識が日本とは異なるものだったように思われます。だからといって、
自分達の排泄物を堆肥化するといったことさえ全く試みられることがな
かったとは言い切れませんが、それが常態化し、慣習化しえたとは考え
られません。まして、わざわざ都市に出掛けていって他人様の排泄物を
運んでくるということは到底考え難いことだったのではないでしょうか。
たとえば、三圃制農業では休閑地でクローバーなどの豆科飼料作物を作付け、
家畜放牧によって地力維持・増進を図ることが通例であったように思います。
それに対し、我が国での水田連作が可能だったのは「湛水」による地力維持・
雑草防除効果によるものであると、かつて「農法論」の時間に教えていただい
たように記憶していますが、そんなシンプルな理解でよかったでしょうか。
>
日本以外のアジア諸国でも利用は少なかったのでは無いかという気がします。
中国雲南、長江流域などでは下肥利用がなされていたかと思います。
また、農業利用といえるかどうかわかりませんが、東南アジアには、
高床式トイレの下で豚を飼養するという循環システムも存在していた
ように思います。
以上の認識の下で、富田さんの見解について考えてみたいと思います。
>
これらの記述を読むと、米や稲作に対する人々の思いにはとても
> 神聖なものがあり、 信仰とつながっていたと思います。だとすると、
>
近代以前は下肥を神聖な稲作に容易に入れる気持ちにはなれなかった
>
のかも知れません。
そのように思う人々も少なくなかったかもしれません。とはいえ、
そういった感性の発現形態はそれぞれの人々が直面していた時代的
背景や地域の状況によって異なっていたのではないでしょうか。
また、一応、日本の稲作への下肥利用は室町時代以降に普及した、
とされていたかと思いますが、それは単にそれより古い記録が見つ
かっていないという事実を示すものでしかないように思われます。
>
柳田「神田、神の田の分だけには(糞尿を)使わなかった。」
> 安藤「神の田はやかましい。大正天皇の齋田の折りに、こやしには
>
一切糞尿を使ってはいけない。魚肥あるいは大豆粕です。
> 今上天皇の折にもそうだと思います。」
>
柳田「それは今でも使いません。」
> 安藤「御所では、こやしという言葉を使うことがいけないという
>
ことを、その時分に聞かされた。」
食べることさえままらない「米」づくりへの精励に人々を駆り立てたものは、
社会制度(または強制力)だけではなかった、という点の指摘でしょうか。
確かに、江戸期までの稲作は食料供給とともに財政の安定という役割を担って
きましたから、仮に、稲作祭祀(上記事例はその頂点に位置づく大嘗祭に関す
るものでしょうか)に「神聖な食べ物」の生産者である意識(自覚)を高める
作用が期待されていたとすれば、それを契機に農民の生産意欲(経営努力?)
を刺激し、ひいては財政の健全化に帰するという政策意図が込められていたと
いえるかもしれません。
為政者の側にかような政策意図があり、当該手法にある程度の効果が認められ
ていたとすれば、現実の稲作において、下肥が(一定の農法的合理性を以て)
水田に利用され、それが農民的常識になりえていたとしても、それとは次元の
異なる価値規範により、稲作祭祀(宗教儀礼)の際に稲作を「崇高な仕事」と
印象づけるための一種の文化的創造(脚色・演出等)が優先された(イメージ
世界における清浄さの表出)ケースもありえたのではないかと思われます。
>
水田に糞尿を入れない理由は障害が出やすいからだと思います。
> 故に畑に利用していたという側面はあると思います。そして、
>
人糞よりも牛糞等の堆肥の方が使いやすいのも想像できます。
参考までに、江戸時代(貞享元年(1684))、会津藩の佐瀬さんは以下のように
書いています(日本農書全集19『会津農書』農文協1982年)からの引用)。
---------------
「卑泥田へハ馬糞少し懸、陸田へハ多く掛へし。馬ふん掛れハ
田寒に寄て、卑泥にかけては陸田ほとにハきかぬなり。」(58頁)
(卑泥田へは厩肥を少しかけ、乾田には多くかける。厩肥をかければ
田が冷えるので、卑泥田にかけても乾田ほどには効かないからである。)
---------------
「谷地田へハ馬糞、青かり敷ハ悪し。深田にて馬を以かく事ならす故に、
長こへ懸てハ掻くるめること成かたく、尤馬ふんハ卑泥にハ悪し。
谷地田にハ下こへ、荏粕かけてよし。」(58頁)
(谷地田へは、厩肥や青刈敷はよくない。ぬかる田で馬でかくことができ
ないから、長いままの肥料を施してはどうにもならない。いずれにせよ
厩肥は卑泥田にはよくない。谷地田には人糞やえごま粕を施せばよい。)
----------------
「里田、山田共に馬糞ハ先に散し置、其上を掻田塢生すへし。下糞ハ
かいとううなひ為仕所へ態ふりほとき、村なく散し、糞跡を鍬にて
すくひとり捨へし。其まゝ置ハ稲出来過て枯るゝ。又水屎にて懸るハ、
振桶に入て殖代掻く先に立て掛へし。青芟敷ハ前廉麁塊かきたる所へ
散置はよし。馬屋糞、青芟敷多く入ル田ハ、殖代かき跡拵え人を定め置、
一所へかきよせたる養をまんへんなくふり散し、泥の中へふミ込てよし。
一所に其まゝ置ハ稲病て村出来する也。」(45-46頁)
(里田、山田ともに馬糞はあらかじめ散らしておいて、その上をかい田
うないする。人糞は、かい田うないをした後によくほぐして散らし、
人糞を置いた場所を鍬ですくい取り、捨てること。そのままおくと稲が
できすぎて枯れる。また、尿で薄めた人糞をかけるときは、振り桶に
入れて、植代をかく直前にまく。青刈敷を荒代をかいたところへ散らか
しておく。馬糞と青刈敷を多く入れる田では、植代かきの跡にこれらを
踏みこむ役目の人を定めておき、一か所にかき寄せておいた肥料をまん
べんなくふり散らし、泥の中へ踏みこむ。一か所にそのままおくと稲に
病気がつき、生育がむらになる。)
-----------------
江戸時代、会津藩の幕内という集落に暮らしていた佐瀬さんが家族や
子孫のために書き残したこの文章(情報)に基づいて、当時の稲作を
一般化すること(知識化)は妥当とはいえないでしょう。とはいえ、
延宝〜貞享の頃、会津藩に水田への下肥利用を試みていた農家がいた
ということは紛れもない事実であるように思います。近未来のノンフ
ィクション小説の中で下肥利用が脚光を浴びる可能性は限りなくゼロ
に近いと思いますが、200年の後、赤城@菜の花さんの「エッサホイサ」
が再び見直される日が来るのかもしれません。
9/11 宮城の齋藤さんから「水田農業」
こんにちは 宮城県栗原市一迫の斎藤です。
>
日本では人糞を昔から肥料として使用していたが、ヨーロッパではその習慣が無かったので
>
コーデックスガイドラインから外れたということでした。
>
先にこのメール仲間で取り上げられていた、日本とヨーロッパの人糞の扱いの歴史が
>
そのまま理由になっているので驚きました。
有機JAS法施行の黎明期(笑)には 有機水田農業の存続が危ぶまれました。
有機農業の基本は外部資材の投入ができないことと 連作の禁止でした。
ヨーロッパの持続できる農業(有機農業)では連作をしないことが基本でしたので
当時の国内水田農業の関係者は相当混乱しました。
現在はそれからみると隔世の感があります。(笑)
齋藤 政憲
9/10 福井の塚本さんから「人糞、有機JASに不適合の理由」
見出しのことについて北陸農政局から回答を頂きました。
有機栽培では、その土地で取れた作物の残渣と地力を利用して
作物を栽培するのが本来の姿で、家畜糞を利用して栽培することは
謳っていない。しかし、それでは収量が激減するので使用できる資材が
定められている。
使用できる資材は、農水省内の規格審査会で決めている。
人糞が認められない理由は、国際食品規格(コーデックスガイドライン)で家畜の排泄物は認められているが
人糞は認められていない。日本でも将来はコーデックスガイドラインに合わせた基準にしたいので、
規格審査会では人糞を使用できる資材から外した。
日本では人糞を昔から肥料として使用していたが、ヨーロッパではその習慣が無かったので
コーデックスガイドラインから外れたということでした。
家畜糞に含まれるであろう抗生物質や遺伝子組み換え作物の残渣は、
家畜体内から排泄された後に混入されたものではない限り問わないということでした。
先にこのメール仲間で取り上げられていた、日本とヨーロッパの人糞の扱いの歴史が
そのまま理由になっているので驚きました。
塚本でした。
9/10 新潟の神田さんから「人糞について」
人糞について質問した神田です。
たくさんの方からいろんなアドバイスありがとうございました。
こんなに沢山の情報、意見が寄せられるとはHPの宅配便は農業大辞典です。
私は昭和30年代に小中学校のころ自宅の便所を汲んで畑のうねに撒布を何度かやりました。
その後は土をかけていました。便所にうじ殺しの薬をまくようになったころは、親に作物にかかると葉が
焼けるので葉に掛けないようにと言われたのを覚えています。
人糞の件で消費技術センター埼玉に聞きましたら、
有機の基準を作るとき、海外(コーデッコス?)でも国内でも人糞は肥料としての登録がなっかたそうで、
それを表にのせなっかた。
先日千葉の和郷園のバイオ装置を見学したときに聞いたのですが、
発酵の材料、牛糞のなかに、人糞を加えたい。ヨーロッパの何基準?を日本で1番始めに導入し、
日本の基準を自分たちで作りたいと答えていました
装置など和郷園のやりかたには疑問もありますが人糞の考えには賛同します。
-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-
□■□ 神田 長四郎
□■■ 新潟県五泉市論瀬6085番地
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-
9/9 岡山の林さんから「ヨーロッパの農家の昔の便所について」
皆さん今晩は、
冨田さんのメールに触発されて少し人糞に付いて書きます。
>江戸時代と同時代において、すくなくともヨーロッパでの人糞利用はなされて
>いなかった可能性が高いということですね。
>日本以外のアジア諸国でも利用は少なかったのでは無いかという気がします。
>溜めるトイレ施設が完備されている国は少なそうですね。
これはドイツ人から直接聞いた話ですが、中世のドイツの便所は室内にあって、用が
済むとその人糞は窓から道路に投げ捨てたのです。それが二階またはそれ以上の階で
もやはり窓から道路に投げました。ですからその窓の下を通る人の頭に落ちるという
事がよくありました。街路は糞だらけで、女性のハイヒールはそれを踏んづけても大
丈夫なように工夫されたものだと聞きました。中世のヨーロッパの街の道路は糞だら
けであったようです。今でも犬の散歩の時は、日本のように飼い主がそれを拾って持
ちかえるということをしないのは、そのような伝統からだと思います。ヨーロッパの
公園は芝生が綺麗ですが、そこに座る時は糞に気を付けて下さい。江戸の町ではその
ようなことは無く、溜める便所があって長屋では多数の人がした量はかなりのものに
なって、これが売れるので長屋のかなりの収入になったようです。江戸の町は当時は
世界一綺麗な都市であったようです。厠は直接川に落とす方式でした。
ヨーロッパといっても広くて、地域によって全く様子が違いますが、以前留学してい
た時、大学の山小屋がオーストリアの山の中にあり、そこに学生達と泊りがけで出か
けたことがあります。そこは大学が農家を買って学生用の山小屋にしたところで、そ
の家ではポットン便所でした。ただ、腰掛けて用を足す方式で、便器は木製、便器の
下にバネをつけた弁が付いており、そこに便をすると下に落ちるという方式でした。
弁があるのでおつりは上がってきませんでした。おそらくヨーロッパの農家でもポッ
トン便所はあったと思います。
林 正弘
岡山市
9/8 やまちゃんから「笹村さん、富田さんへ」
笹村さん、すみません。ぼくのも舌たらずでした。
笹村さんの「技を名人芸で終わらせずに、技術にしたい」ということを座標軸に据えながら、
ああでもない、こうでもないと行きつ戻りつしながら、石を積み上げていく。
そんな笹村さんの文体というか、リズムが僕は好きなんです。
現代農業の原稿では、笹村さんの到達点が凝縮されてまとめられているのですが、
字数制限がある為、凝縮されすぎて、笹村さんのリズムが損なわれてしまっているなあ、
と言うのが僕の感想でした。
ないものねだりでした。
「もっと議論の場を」、同感です。
大きい百姓も、ちっちゃな百姓も、
年季の入った百姓も、駆け出しの百姓も、
対等に議論できるところが百姓の世界のおもしろさかなと思っています。
いや、このことは現代という時代がもたらしてくれているものかも知れません。
富田さんへ。
柳田国男は、わが姫路の隣町(福崎町)の出身です。
そこで、84歳の母に聞いてみました。
「国鉄の姫路駅に下肥をくみに行きよったやろ。
あれはおばあちゃんが19歳で嫁に来る前からか?」
「おじいちゃん(亭主)の弟が国鉄に勤めて、コネができてからで、お嫁に来た後のこと。
戦前から昭和30年くらいまで。
下肥のお礼に、リヤカーにジャガイモを積んで姫路駅に向かう途中で警察に見つかって、
お前代わりに謝りに行ってくれと行かされて、警察に統制法違反できつく怒られた。
隣村の民家にも下肥を汲みに行っていて、その家の人が出来秋にお米を貰いに来たりしていた」
「下肥は田んぼのイネには入れへんかったの?」
「いや、水を入れるときに野坪から汲んで一緒に流し込んだりしていた」
その頃我が家はけっこうの大百姓で、米麦と平行しながら換金野菜をけっこう大きく作っていました。
主な肥料源は下肥で、無農薬で立派にできていたようです。
もっとも、別なときに聞いた話ですが、
「小カブ
は、硫酸の薄い液で洗うと真っ白になる」などと言う怖いこともやっていたようです。
9/8 神奈川の笹村さんから「Re現代農業10月号を読んで」
あしがら農の会の笹村です。
複雑な思いで、藤本さんの文章を読みました。実は自分の書いたのは、情けないので読まないでいました。山下さんの、ご批評を戴いて、慌てて読みました。
指摘の通りの生硬い悪文で、お恥ずかしい限りです。とても書くような内容はないので、いったんはお断りはしたのですが。結局、掲載いただきました。
その恥ずかしながらの目的は、あくまで、ワザを技術にと言う気持ちです。
農業分野の一人の体験は狭いものです。生涯かかっても結論まで進める人はそうはいないと思います。
養鶏のほうもそうですが。本にまとめてから、だいぶたちますが、応用的に言えば実際は随分違うものになっています。
ある程度見えてきたら、発言する方が、急ぎ過ぎない方が、いいとすれば、永遠に具体的な方法論は何も発言できない死んでゆくのだなぁー、という気がします。ワザを技術にするには、充分議論できる場が、必要なのだと思います。そして一人の技を、よってたかって、技術に育てる。現代農業を読んで農家になった者として、その議論の場に現代農業がなればと考えています。同じことをやっても、違う結果になる。この繰り返しのを通して、誰がやっても同じように草の出ない、田んぼの耕作法に一日も早くたどり着きたい。
追記1、
有機農業推進法も出来て、今年は昨年の10倍の有機農業関係予算らしいです。今まで公的機関の研究というのが、あまりにも少ないです。法で決めにしたがい、神奈川県での推進の条例を作るために、10月6日、午後1時小田原市マロニエにて、国の農業審議会委員参議院議員ツルネン、マルティンさんをお迎えして、シンポジュームを開催いたします。神奈川県方面の方、ぜひ、ご参加下さい。
追記2、人フンについて
つくば市の農水省の実験で、尾崎氏と言う方が、自宅を循環型の実験家屋にされていた。家の敷地から、何も出てゆかないようにしているのだ。普通の住宅地の家だ。合併浄化槽と、30坪くらいのガラスハウスの組み合わせで出来ていた。合併浄化槽から出る水と、雨水槽の水とが、ハウスの水路を流れるようになっていた。その水路は最終的には家を一周する、U字溝につながっている。しかし、そこに水が流れる事は殆どない。まして、排水が外部にまで出てゆくことはない。家族4人の人糞は浄化槽で、浄化される、どの程度の浄化が起こるか測定をしながら、浄化のレベルの調整をしている。
面白いのはそのハウスでの栽培が、肥料要求の大きい作物から、並んで、最後はパピルスだった。それで紙作りをしている。そのパピルスが、水源に近い所が大きく、背丈が徐々に小さくなる。最後にわずかな水が染み出ていて、そこで測定されているが、極めて清潔な水で、処理をすれば飲めるレベルと言われていた。このハウスで出来た作物は家族で食べるそうだ。結構トマトや、ナスが実っていた。抗生物質など呑んだらば、家のトイレの菌が死滅するから、薬は飲まないようにしていると言われていた。洗剤や石鹸なども、菌が死ぬからと、気を使われていた。
9/8 福井の富田さんから・柳田国男の「稲の日本史」
福井県池田町の冨田でございます。
江戸時代と同時代において、すくなくともヨーロッパでの人糞利用はなされて
いなかった可能性が高いということですね。
日本以外のアジア諸国でも利用は少なかったのでは無いかという気がします。
溜めるトイレ施設が完備されている国は少なそうですね。
「 化石エネルギーに依存した技術体系」はまさにおっしゃる通りだと思います。
もっとも重要で切迫した問題を抱えている課題だと思います。
*****
ところで、「稲の日本史」 柳田国男・安藤広太郎・盛永俊太郎他 筑摩叢書133
1969年発行(稲作史研究会記録の一部である「稲の日本史」は最初昭和30年に
出され、筑摩書房からの出版は再刊です。)を借して頂いたので今読んでいます
が、とてもおもしろいので引用します。
本の内容は対話内容で進められています。
柳田国男
82P「それほど稲作では穢れということを避け、清潔を重んじておりまして・・」
83p「われわれは苗というものに対して、尊厳な考えをもっておりまして・・」
84p「・・下肥も遠慮して使わない。厩肥は入れないというような心持で作った稲作が
そのまま今日に受けつがれております・・」
84p「稲を始めて作った時代は、今日のように稲を常食とするような思想からでは
ないのであります。都会でも三度米飯を用いたおは、江戸時代半ば頃からで
ありまして、・・」
85p「米を生活のシンボルにする考えがあった・・」
311p「稲だけに(糞尿を)やらなかったんだと私(柳田国男)は思っているのです。稲でも
後のは神様の稲だけにはやらなかったとか、制限をつけましたが。」
312p
柳田「神田、神の田の分だけには(糞尿を)使わなかった。」
安藤「神の田はやかましい。大正天皇の齋田の折りに、こやしには一切糞尿を使っては
いけない。魚肥あるいは大豆粕です。今上天皇の折にもそうだと思います。」
柳田「それは今でも使いません。」
安藤「御所では、こやしという言葉を使うことがいけないということを、その時分に聞かされた。」
これらの記述を読むと、米や稲作に対する人々の思いにはとても神聖なものがあり、
信仰とつながっていたと思います。だとすると、近代以前は下肥を神聖な稲作に容易に
入れる気持ちにはなれなかったのかも知れません。
この辺が畑には入れても田んぼには入れないということの一つの理由かもしれません。
もちろん栽培上の要因はあったと思いますが、神聖な米と他の作物との違いが、栽培法
にもあらわれていたのかも知れません。
*****
長くなりますが、おもしろいのでさらに引用します。
312p
柳田「今でも(昭和30年頃)北国を歩いて、たんぼのそばに長い杓と肥たご(こやしだめ)
があるのを見ると不愉快ですね。・・・あれは私は北陸を歩くときに一番不愉快な
印象ですね。大きな杓でたんぼにかけているのを見ると吐きたくなる。私らの子供
の時分には決して見ませんでした。」
永井「インドでは、大部分の農家は便所がないようですね。」
安藤「以前私が行きましたところは、朝鮮でも、中国でも、ブラジルでも、インドでも便所
がないのです。」
永井「ないのが原則ですね。」
この記述を読みますと、明治頃の兵庫県か茨城県では”田んぼ”に人糞を入れる習慣は
なかったようですね。人糞を肥料として直接利用するのは世界的にみて非常に少なさそうですね。
314p
安藤「初めは(人の糞尿を)下に水を流しておったが、あとは箱にして、砂を入れて、
それを川に流した、ということが書いてありますね。」
柳田「それでも、うまやごえだけは平気で使いますね。」
相当昔においても、厩肥に対しては抵抗感はないが、人糞にはあったのかもしれませんね。
今の農業事情と似ていておもしろいです。
(牛糞たい肥を入れたほうれん草は美味しそうで、人糞をいれた野菜は美味しそうではない・・感覚)
314p
安藤「・・明治41年にインドに行ったとき、インドの政府が、牛の糞を燃料にするのがいいか、
こやしにするのがいいか、という比較研究をして、・・こやしにするより燃料にした方が割がよい。
燃料の方が高いからと言っていた。」
柳田「牛の糞を燃料にする区域はずいぶん広いですね。」
永井「蒙古でも、西北の乾燥地帯では・・糞を燃料にしています。」
乾燥地帯では糞を燃料にするという用途があったのですね。
安藤「(牛の糞は)堆肥にしてもなかなか骨が折れる。牛の糞を水田にいれてもそのまま残っている。
だから、畑ならいいでしょう。」
この辺もヒントかもしれません。
水田に糞尿を入れない理由は障害が出やすいからだと思います。故に畑に利用していたという側面はあると
思います。そして、人糞よりも牛糞等の堆肥の方が使いやすいのも想像できます。
稲への神聖な想いや信仰とのつながり、嫌気性の環境という水田の持つ特性ゆえの栽培上の理由から、
たんぼに人糞を入れたのは歴史的に浅いようです。また、牛糞は平気なのに人糞は・・というのは日本人の
中に深くあるようでおもしろいです。いずれにしても充分熟成させることが大切ですし、いったん入れてしまったら
もう取り除けないのですから慎重さは必要です。
82p
柳田「三角田を持っておる家は病人が絶えない、というようなこともいっておりますが、それは田にこやしを
入れるからでありまして、理由は良くわかっているのです。・・病田、病人田、死人田、その他いろいろ
の名前がついているのがあります。」
9/7 やまちゃんから「現代農業10月号を読んで」
「現代農業」10月号が届いて読んでいるところです。
「イネは元気に、草はおとなしくなる田んぼとは」という小特集があって、興味深く読んでいます。
「ことばの魔術師」と言ってもいいお二人が登場しています。
一人は、今話題の藤本肇さん、
「さすが天下の大うそつき」と拍手喝采を送りたいなと思ってしまうほど、感度がいい。
「酸素いっぱい、生き物いっぱい、イネが雑草に勝つ田んぼ」という編集部の記事ですが、
秋に浅くプラウをかけることによって、
「上はカラカラ、下はしっとり、田んぼで好気性菌も嫌気性菌も増える」
「浅く粗い耕耘で田んぼに酸素を入れる」
「カルチをかけるとチッソも入る(2〜3日で葉色が確実に濃くなる)」
「イネに活力が出ると、雑草は遠慮して育つ!?」
などなど、
藤本さんの感性は、間違いなく今の課題を見据えています。
「いろんな生きもののえさ場も休むところもあるすごしやすい場所ができる。
晩餐会ができる器ができたというか、、、、
その中で食物連鎖ができあがり、生きものがどんどん増える。
仏教の曼荼羅っちゅうんかの。
農業の技術というより芸術みたいなもんができると思ってます」
「藤本さん、もったいないねえ」、と思いながら読みました。
もう一人のことばの魔術師は、自然農法国際研究開発センターの岩石真嗣さん。
「土ぼかしでつくる、雑草のヤル気の出ない田んぼ」
岩石さんには、ぼくの感度が追いつけないところがあるので、今はコメントを控えます。
さて、ことばの魔術師からほど遠かったのが、足柄農の会の笹村出さんでした。
笹村さんの試行錯誤(思考錯誤?自問自答?)をその情感とともに伝えるのは、
編集部から与えられた字数に制限があったのでしょうか、
書き急いでいるなあと言う印象が否めませんでした。
限られた字数の中で、最低限これだけのことは伝えたいという笹村さんの気持ちは伝わりましたが、
ちょっと残念でした。
こっちも、別な意味でもったいないと思いました。
以上、好き勝手なことを書きました。
興味があったら、実物を手にとって読んでみてください。
9/6 宮城の祓川さんから「本の紹介です」
秡川@仙台です。
10年ほど前に出版され、よく売れた本ですからどこかで目にされた
ことと思いますが、下肥利用のことをわかりやすく説明した本を紹介
したいと思います。→
石川英輔著『大江戸リサイクル事情』です。
福井の富田さんからの以下の質問ですが、
>
人糞の昔からの使い方について一度しっかり調べるとおもしろい
> だろうな、と思いました。
>
世界的に見て、人糞を使うのはどのくらいの民族だったのだろうか?
この本によれば、江戸時代と同時代のロンドンやパリなどのヨーロッパの
諸都市では、人間様の排泄物を下肥として利用するという習慣はなかった
ようです。この本の157-159頁では、彼我の差を汚物の悪臭漂うテームズ川、
セーヌ川と白魚が住む隅田川との差として面白可笑しく表現されています。
信憑性のほどはともかく、一考に値する話しではないかと思います。
リービッヒさんが『農業および生理学への有機化学の応用』(1840年刊)で
日本の下肥利用を褒めちぎった背景にはおそらくそんな事情もあったので
しょうね。ところで、姫路市水族館の市川さんが書かれていることですが、
>
江戸時代から昭和30年代までは、この国は循環型社会だったのだと思います。
同じ趣旨のことを石川さんは「1955年頃までの日本の農村は、下肥つまり
人間の排泄物がもっとも重要な肥料だった。」(154頁)と書いています。
「くさい、汚い、きつい仕事で、文字通りの3K、汚れ仕事の代表のような
ものだった」にもかかわらず、江戸期(室町?)から1950年代まで下肥利用が
営々と続けられてきた背景に「下肥を平気で扱」うことができ、「3Kなど
という発想法を知らない」感性の存在があったとは俄に信じがたいことでは
ありますが、少なくともそれが高邁な循環型社会理念をバックボーンとする
ものなどではなかったことは疑いのないところだと思います。他に適切な
肥料があれば、彼らだってそれを利用したのではないでしょうか?
>
江戸の町では、うん*は肥料として貨幣価値があったそうです。
> 馬や船で江戸の町へ野菜などを持ち込んだ百姓が、作物と交換で、
>
もしくはお金を払って、うん*を持ち帰っていたようです。
江戸時代の後期ともなると、「店子が30人いる長屋なら1〜2両」もの
お金が支払われていたようであり、そういう値がつくほどに下肥が貴重で
あったのは、江戸からの下肥供給量と江戸周辺農村の肥料需要量との間に
慢性的なアンバランス(供給不足)の状況があったためで、下肥生産量の
大きな大名屋敷などでは「農家に入札させて有利な販売先を決める所さえ
あった」ほどだと書かれています。
ひるがえって現代の日本をながめてみれば、下肥をめぐる「社会の仕組み」
の方はまるで違っているわけです。ですから、旧来の下肥利用法をそのまま
持ち込むことには少々無理があるのでしょう。とはいえ、時代状況が大きく
変化したことを以て、直ちに下肥利用自体が時代遅れであると結論づける
のはいささか性急すぎるように思われます。
遅れているのは、下肥を利用するという考え方や方法自体ではなく、
化石エネルギーに依存した技術体系やその利用に偏りすぎて麻痺して
しまった思考回路の方なのかもしれないな、とも思えるわけです。
繰り返しになりますが、
「じゃまなものが目先からなくなったからといって、けっして問題が
根本的に解決するわけではない。汚いものやじゃまなものを、見えない
所へ押しやったところで、面倒なことが別の場所に移動するだけなのだ。
しかも、手間をかけて遠くへ追いやれば追いやるほど、問題がいっそう
複雑化し、ますます手に負えなくなることは、現代社会に暮らしていれば
いやでもわかってくる。」(156頁)という状況はいくら技術が進歩し、
人間の生活が豊かで文化的なものに変化しても、変わることはないように
思うのです。
9/5 岡山の林さんから「人糞肥料について」
皆さん今晩は、
一昔前、ドリフターズというお笑いグループがいました。そのメンバーで加藤ちゃん
がよく「こえたご」を担ぐ真似をしていましたが、今の若者がこの様子を見てもなん
のことか分からず、笑いもとれませんね。江戸時代の人糞は、価値があったのです
ね。京や江戸でも近郊の農地に返されていたことは事実です。
人糞が活性汚泥と一緒になっているのが問題でしょう。ドイツでもこの活性汚泥をブ
ドウ畑に入れた為に、重金属汚染で畑が死んでしまった歴史があります。
産経新聞社、2007年09月05日
17時25分のインターネットで読んだニュースによると
・・・「日常生活で体内に蓄積されやすいのは、鉛をはじめ水銀、カドミウム、ヒ
素、アルミニウム」と杏林大学保健学部・柳澤厚生教授。これら重金属は主に魚介類
や残留農薬などから少しずつ体内に取り込まれる。・・・「例えば高血圧の人は、そ
うでない人と比べ、鉛、カドミウムの含有量が高い。・・・」と書かれていました。
私達百姓は、安全なコメや野菜を消費者に提供する責務があります。ですから、人糞
を利用するに際して社会的なシステムが確かなものでない限り、やはり使う訳にはい
かないと思います。そうはいっても、私は皆さんの糞尿が有害だといっている訳では
ありません。
私のコウカアブ便所は三年間も汲み取りなしに機能を続けています。
林 正弘
岡山市
9/5 宮城の祓川さんから「とりあえず、たたき台です」
秡川@仙台です。
赤木@菜の花さん、解説いただき、ありがとうございました。
お礼に代え、ひとまず綾町における人間の排泄物の利用について、
わかった点だけ報告させていただきたいと思います。
宮崎県綾町での農地への還元を前提とした屎尿処理施設の建設は1973年
くらいから話しがあったようです。当初から、循環型農業を復活させ、
それを地域の活性化につなげたい(綾町は典型的な過疎地でした)とい
う考え方から始まった構想だったようですが、反対意見も多く予算確保
が難しかったようです。
反対派の町会議員を説得して建設に踏み切った当時の町長の「語録」を
紹介した以下の書き込みがありました。
「賞味期限が切れた食べ物は、私なら、集めて肥料を作ります。高くつくで
しょうね。施設を造らにゃいかん。だが、そんな金は要ってもかまわんじゃない
ですか。日本の土づくりができ、日本の農業が安定的に長く続けられることに
なるんですから。人間は、その昔は、下肥(しもごえ)といって、し尿を土に
返しておったんですね。小鳥、イノシシ、サル、シカなど動物は、し尿はおろか
死がいまで土に返しておるのに、今は人間だけが違うんです。し尿を処理して
海に捨てるなんて自然破壊ですよ。ここらへんのことがわかると、じっとして
おれんのです。」(
http://www.chitac.com/syutyou/aya/ayacho.htm)
これも、ひとつの見識だと思います。もちろん、そんなことを一般化したの
では農地が廃棄物処理場になりかねないという危惧も現実的な見識に違いない
とは思います。つまり、赤木さんがメールの中で書かれているように、
>
今の社会の仕組みの中から出てきた糞粕はちょっといただけないですね。
という「社会の仕組み」の方を変えずに理念だけとりあげたのでは、現実を
無視した危険思想になりかねない、ということでしょう。
綾町では、(家畜と違い)摂取物の特定(オーガニックの有無による仕分け)
による排泄物の分別ができない(註)人間の排泄物に対して、衛生面や食品
安全性の観点からの許容水準を担保するために、高温酸化処理を採用している
ようです。また、町独自の認証制度の中で農地の検査を実施し、重金属汚染の
問題にも一定の歯止めがかけられているようです。さらに、当該認証制度に
よってJAS有機への依存度も低いようです。「綾町の自然生態系農業」
(
http://www.town.aya.miyazaki.jp/ayatown/shizenseitaikei/shizenseitaikei-top.html)
------------
(註)あくまでも基本的に、ということです。
また、処理済みの液肥は農家に無料で配布されているらしいですが、
利用される農地は主に飼料作畑であり、そこで作られる飼料を食べた
家畜を人間が畜産物として消費するという迂回的な循環(食物連鎖)
システムになっているようです(水田での利用形態はわかりません)。
食生活の問題とか、自治体の規模とか、住民の意識とか、考え出したら
キリがありませんが、有機JASでは認められなくても人間の排泄物が
有機農産物の資材として利用されているケースはあるように思います。
以上、中途半端な報告で申し訳ありません。
9/5 長野の唐沢さんから「人糞・野壺の記憶」
長野の唐沢です。
人糞と野壺について私が記憶している小学生の頃の話をします。
当時(昭和30〜40年頃)便所は母屋の外にしかなく、当然汲み取り式で
何ヶ月に1度は祖父が肥え桶を天秤棒で担ぎ荷車に載せて近くの畑に
こしらえてある野壺(五右衛門風呂くらいの桶が地中に埋まってる)に
空けてきてました。
その畑に行くたびに(そこはほとんどが自家用の野菜を作る畑でした)
櫂で掻き混ぜていました。新品を入れても幾日かたつと匂わなかったような
記憶があります。
掻き混ぜる事で酸素を送り醗酵を促していたのでしょう。
子供の頃は近くの子供たちと畑や山を駆けずり回ってましたので
幾度かその「野壺」にはまる事がありましたが当時はそんなに臭かった
様な気がしますが、S40年代の後半頃にはまった時は非常に臭かった
記憶があります。これはこの時代は農家の働き手が祖父から父の時代になり
牛馬が耕運機(当時はガーデントラクターといっていた)に代わり化学肥料が
使われるようになったからではないかと思います。
赤木さんも言われるように、私も人糞使用賛成派です。ただ、現在の人糞は
肥やしとしての成分からいうと余り期待できないのではとも考えます。それは
当時は天日塩が「かます」に入っていて塩舟という木製の舟型物の上に積まれていま
して
蔵の中なので湿気を吸うとニガリが出来ていました。このような塩を漬物や味噌
醤油その他に使っていたのでミネラルも豊富で当然人糞にもたくさん含まれていたと
思います。
現在では、乳牛に食べさせる塩でさえ精製塩ですから牛糞堆肥にはミネラルはあまり
含まれてはいないのではないでしょうか?
人糞を使うのであれば是非家族の食べる塩は天日塩にすべきです。
今のご時世なら後から入れてもいいかもしれない???。
そしてもうひとつ、人糞を使う場合、大腸菌・O-157などの根源の問題があるので醗
酵の
方法・状態や殺菌の方法など課題は多いですね。
信州 箕輪町
唐沢 金実
9/5 姫路市水族館の市川さんから「うんこの価値」
市川@水族館です。
江戸の町では、うん*は肥料として貨幣価値があったそうです。馬や船で江戸の
町へ野菜などを持ち込んだ百姓が、作物と交換で、もしくはお金を払って、うん
*を持ち帰っていたようです。
滋賀県知事の嘉田由紀子さんが、昭和30年代の水利用について書かれた小論の中
でも、滋賀の百姓が作物を町に売りに行った帰りに、船にうん*を積んで帰って
いたことが書かれています(すいません、出典を忘れました)。この小論の中に、
農家の便所は、大便所と小便所に分かれていたことが書かれていました。風呂の
残り水と小便は同じ槽にためられて、畑への蒔き水として利用され、大便も肥料
として使われていたことが書かれていました。江戸時代から昭和30年代までは、
この国は循環型社会だったのだと思います。
台風の後、琵琶湖岸に打ち寄せられた木株や枝は、風呂のたき付けとして人々が
競争で持ち帰っていたので、湖岸にはゴミがなかったそうですが、今では台風の
後は、役場の人が税金を使ってスチロールなどとともに木株をゴミとして集めて
いるそうです。
9/4 福井の富田さんから「藤本農園見聞録20070903」
8月25日及び8月28日に撮影した藤本農園のたんぼの様子です。
今年は福井県内のたんぼの生育は一週間近く遅れています。
藤本農園でもつい先日から受託作業の稲刈り作業が始まりました。
乾燥機3台稼働しての対応です。
写真をメールでそのまま送ると重たくなるので、メール用は小さな写真
にしました。
大きな写真はこちらをご覧下さい。
******8月下旬のたんぼの様子******
★★
まず、こちらは慣行用の化成入り液肥を投入したたんぼの様子です。
今までのよく見慣れた藤本さんの稲です。
去年に比べヒエが多く見られることが多少違います。
化成入りの田んぼの草丈は1m。
今までの藤本さんの稲はこのくらいでした。
茎も太く、草丈も長い立派な稲ですが、化成肥料によるものです。
★★
こちらは、去年までの魚汁ではなくぼかし大王75kg
で栽培した田んぼ。
コナギに負けたせいもありますが、分けつ、草丈、どれを
とっても藤本農園では初めてみる稲の姿でした。
昨年までの倒伏した稲と違い、色も淡くとても小出来です。
草丈は75pで化成入りの1mの稲とは全く異なります。
★★
こちらの田んぼもヒエて覆われています。
★★
やはりコナギの繁茂が見られます。
★★
こちらは今年苗には化学肥料を使ったものの、本田では今年から無肥料栽培
をしたたんぼ。去年までと違い、色がドス黒くなく淡い色をしています。
ただ、昨年までほとんど見られなかったクログワイが大発生しています。
クログワイが一面に発生しています。
クログワイのこのような様子も去年までは見られなかったものです。
★★
こちらは倒伏した田んぼ。
★★
こちらもヒエで覆われています。
★★
それほど多くはないのですが、毎年違った場所でこのように草が
全く生えない田んぼが存在します。
今年の田んぼを見ての感想は、
・まず、化成入りの稲は去年までの藤本農園の稲にそっくりだということ。
今年同様、去年の稲も倒伏していました。
・魚汁を入れていないたんぼは有機栽培圃場でよく見かける特徴(草負けによる
分けつ不足や生育不足、色の淡さ、)がよく出ていました。
・去年までの失敗のない均一な生育と違い、今年は生育ムラや雑草に負けて
消えた所などが見られたこと。
・昨年までと違い、クログワイやヒエなどの雑草が大量に発生していること。
<圃場確認の方法について>
有機JASや特別栽培における圃場確認の仕方についてなのですが、
圃場確認の際は、対象とする栽培法のたんぼだけでなく、同じ生産者が管理している
慣行田や有機田、無肥料田など全ての田んぼや栽培法を見て比較・確認しなければ
いけないのではないかと感じました。
これは私の憶測ですが、きっと昨年までの藤本農園の有機圃場と慣行圃場において
実は差が無かったのではないか?と考えています。
以上です。
福井県池田町 冨田善嗣
(写真・文責はすべて冨田善嗣)
9/4 福井の富田さんから「Re佐藤さんから・再起に期待する。」
(以下、富田さんと山下の往復メールです。
富田さんから、佐藤さんの「再起を期待する」のメールに対して返信がありました。
それに対して、山下から富田さん宛私信の形で感想を書きました。
富田さんから、折り返しその返事がありました。
後ろから二つのメールは、私信の往復ですが、富田さんの真意がよく伝わるように思われましたので、
山下の独断で(富田さんに対して断りなくですが)公表します。 byやまちゃん)
”有機認証が生産するに値する「人・土地・施設」を認定する”、というのはまさに生産者に任された
責任において、法に則った生産を行えることの信頼関係だと思います。
現行法では、書類が揃い、口頭できちんと法を遵守していることを言えば通る制度で、そこに
つけ込んで悪用しようとすればいくらでも出来る制度だと思います。
藤本農園の件は、私の知っている限り氷山の一角でしかありません。JAS有機認証を受けながら
苗に化学肥料や本田に化学肥料を使用している人は他にもたくさんいることでしょう。
しかしながら、藤本さんの件は、その内容、範囲、悪質さにおいて圧倒的であります。
藤本さんは未だほとんど真実を話しておりません。他人の私が公表する権利は無いのかも知れませんが
同じ農業者として”人が食べるものを生産し届ける者」”して、知ってしまった以上、きちんと改善する方向
を見出すのが同じ法治国家に生きる人間の責任であり、知らずに購入することを防ぐ責任があると
思っています。
今回の件で、私は、藤本さんに全てを話して頂き、今後の有機栽培や無肥料栽培のさらなる展開へと
つながって欲しいと望んでいます。藤本さんがそうせざるおえなかった個人的事情(様々な欲や性格も含めて)
や社会的事情もあると思います。全てを明らかにして風通しの良い農業へと進めなければ、と思います。
伝わらないかも知れませんが、私なりの藤本さんへの恩返しと愛情のつもりでございます。
偏見や圧力無く、中立な立場で快く掲載して下さる山下さんに私からも感謝でございます。
池田町 冨田善嗣
●やまちゃんから「拝復・私信・Re佐藤さんから・再起に期待する。」
富田さんは、藤本さんの疑惑を知ってから公表すべきかどうか、かなり長い間迷っておられたように思いました。
その上で公表に踏み切ったのは、藤本農園が偽装を認めた後も、一方で告白し反省したようにみえながら、
また次に偽装を重ねてくるから、公表するほかないと決断されたように思われました。
東京黎明会が、偽装を知った後、新しく再出発するなら、藤本農園の可能性に期待しよう?とつきあいを継続している「宗教的寛容性」?につながるものがあるように思われました。
また、僕も藤本農園の問題点は、その部分にいちばんあるように思われました。
佐藤さんの「再起を期待する」に対する返信に、その部分を加味して頂ければ思うのですがいかがでしょうか?
また、その上であえてないものねだりをするなら、藤本さんにこれらの意見をぶつけながら、藤本さんの意見も聞けると面白いなと思います。
藤本さんの田んぼの写真(藤本農園見聞録20070903)を見せて貰いました。
これを見ると、藤本さんが今年は除草剤を使わず、また化学肥料もほとんど使わず、「けなげに」悪戦苦闘している様が想像されました。
稲葉さんと一緒に事情聴取されるとき、このけなげさは評価されていいのじゃないかと、僕なんぞは思ってしまいます。
それとは別に、有機認証からははずことは、当然ですが、、、、
以上は僕の個人的感想です。
「転送」を一時的に保留しますので、お酌み取り頂ければさいわいです。
「見聞録」は、いわば連載もので、連載が終わった時点でトータルの「見聞録」が完成します。
ひとつひとつの、その時々の「見聞録」だけを見て感想を言うと、的はずれになることがさけられませんが、
僕の印象では、富田さんの正義感が表に出すぎると面白くないです。
朝の時間帯で、ゆっくり確かめながら書くと言うことが出来ません。
あしからず。
山下
●福井の富田さんから「山下さんへ」
山下様
公表に関してはおっしゃる通りでございます。
これ以上、という部分です。
ただ、私も関谷氏も日本の農業がこんなんじゃいけない、という若者的な発想があります。
そういった視点からのキチンとしようよ、藤本さん、出来ないなら出来ないなりに生きていこうよ
といった気持ちも強いです。
(関谷氏は東京黎明会の鯖江駐在員です。 註byやまちゃん)
あと、見聞録等で藤本さんのウソを紹介してきた反省と責任も感じています。
藤本さんとの対話を試みつつも成立しないのが現状です。
いかんせん、毎回言うことが異なるので話しにならないのです。
田んぼはけなげに苦戦しているのではないと思います。
関谷さんがいるので仕方なく、やりたくないのにやっている、というのが正直だと思います。
じっさい、「お前のせいでうまくいかない」と何度もののしられていらっしゃるようですから。
私自身けなげさは評価しておりません、残念ですが。
藤本農園見聞録の方は転送お願いします。
佐藤さんへの返信は山下さんのご意向で構いません。
9/4 岡山の赤木さんから「諸々です」
赤木@菜の花です。
このところ良い発言が続き、祝着至極です。
特に人糞利用についてはすばらしいご意見が出ています。
私は利用賛成派です。モーちゃんやブーちゃんやコケコッコのは有機肥料だといっ
てありがたがるくせに、てめぇのはバッチーと言って水で流して終わり。。。。どこ
が循環型社会なんじゃ。町工場やガソリンスタンドの洗い水までごっちゃにして処理
して出来たスラッジでは用途が限られるだろう。家庭から出た排水も、洗濯排水が
入っているからこれもアウト。合成洗剤がどうしても含まれているからね。
純粋なウンチとシッコだけなら大いに使うべきだと思います。
そりゃぁねぇ、白菜の頭から純生をかけろとはいいません。きちんと醗酵熟成する
過程で殺菌・殺虫が出来ていれば申し分の無い有機肥料です。
昔の野つぼはすばらしい先人の知恵ですね。浮遊物が表面の蓋をして、沈殿物は沈
み、中間には澄んだきれいな上澄みができていた。
我が家にも無臭便所なるものがあり、外にいるときや地下足袋や泥足の時は、特に
ちっこい方はこちらで済ませます。
2年に一度はどうしてもエッサホイサの出番です。肥たごとてんびん棒で50リット
ルを一荷として担ぎます。モミガラを入れたブロックの囲いの中に持ち込んでバサッ
とうつします。終ったらしっかり水をかけ、米ぬかをドッサリ振って蓋をすれば、も
う何も臭いません。3ヵ月もすれば全て分解されて跡形も無いです。下肥を吸った籾
殻は畑をフカフカにしてくれる最強の土改材です。
話がそれてしまったのですが、人糞はピュアーなものなら最高の有機肥料だけど、
今の社会の仕組みの中から出てきた糞粕はちょっといただけないですね。
そんなところと、バッチーという若干の感情も含めてきっとJASでは認めていないの
でしょう。
比較的最近の現代農業に、協同で人糞を液肥にして田んぼに流し込む、先進的な集
落があると読んだ記憶があります。
ルーラルネットに加入している人があったら検索し、何年の何月号か教えて下さ
い。
籾酢液を入れた鳥追いボトル。今のところ効果ありのようです。
近所の早生の田んぼに寄っているのが原因かもしれませんが、例年なら集団でやられ
るはずの田んぼに、ほとんどチュン公が来ません。田んぼの横を通ると、風向きに
よってはかすかに籾酢液のにおいがします。
50mほどのところに、アサムラサキや一穂選抜の稲があるのですが、こちらは対
策をしていなかったのでやられました。
ということは、やっぱし効果ありとしていいのかな。
熊本の岡さんから質問が出ていました。
レンゲを除き、菜の花等緑肥を播種するのは、私は1月下旬以降です。雨が多い年に
は3月になることもあります。
花が咲くのは例年4月の中旬からです。ナタネに絞って言えば5月になってから咲
き始め、中旬に花盛りとなります。下旬には花は完全に終りますが、茎はまだまだ青
いです。
熊本は岡山より相当暖かいからもっと早いと思います。
そこで岡さんにお願いがあります。
種を蒔きました。花盛りになりました。蜜が取れました。菜種を収穫しました。
ずっとこればっかりも悪くはありませんが、、、、
これでは読んでいる人の参考にはさっぱりなりません。お互いが勉強することがで
きないのです。
基肥はどうしているとか、播種量はこのくらいだとか、ナタネを収穫した後の枯れた
残渣で抑草するにはこうしているとかさ、もっと手の内を見せてくれたらありがたい
んですけどね。
この夏はヒエが生えたことについて、息子さんと日記を見ながら反省されたようで
すが、原因はどことどこににあったとか、来年の対策はこうしようと話し合ったと
か、そのあたりを話してもらえないでしょうか。
そこは企業秘密だよとおっしゃるのなら無理強いはいたしません。
ひとつ前向きにご検討下さい。お願いします。
自然を愛し環境を考える百姓 赤木
歳通
9/4 福井の塚本さんから「人糞について」
人糞はなぜ有機農産物日本農林規格別表1に無いのか、
その理由が釈然としないので北陸農政局に問い合わせました。
担当者は、別表1に該当しないからという回答でした。
それは分かっているから知りたいのは該当しない理由ですと、さらに踏み込みましたらお困りのご様子でしたので、
該当しない理由については調べておいて頂くことにしました。
法律を作って運用しているところが知らないのだから、
私達が詮索しても答えは出んわな〜。
塚本でした。
9/4 福井の富田さんから「Re人糞肥料について」
和歌山の田中様、有り難うございます。
人糞の昔からの使い方について一度しっかり調べるとおもしろいだろうな、と思いました。
・世界的に見て、人糞を使うのはどのくらいの民族だったのだろうか?
・歴史的にみて、いつ頃から使っていたのだろうか?
(川に流してしまうのでは無く、便所としてためる設備が必要となりますから・・・)
・人糞は果たして作物にとって良いのか、それとも弊害があるのか?
・田んぼには投入していなかったのでは無いか?
・・・等々
日本における栽培と肥料との関係と歴史は、精神性も含めて深いものがありそうで
おもしろそうです。
世界的にみて、歴史的に見て、肥料栽培は普遍的なのか、それともそうでないのか・・・。
興味は尽きません。
池田町 冨田善嗣
9/4 京都の寺町さんから「Re人糞肥料について」
京都亀岡の寺町です。
> >福井の富田さんから
>
>「家畜糞と人糞のJAS有機資材について」
>
> >ただ、確か和歌山かどこかで、人糞だけを採取して肥料にして>いた
>
>ような記憶があるのですが・・・。
> >ご存じの方いらっしゃいませんでしょうか?
>
>
こちらでは戦後でも人糞は普通の肥料だったようです。
> 肥えたごと言うバケツに紐が付いていて、棒の前後に吊るして人糞を運ぶ道具です。
>
オリヤ肥え (牢屋肥え)?牛糞を意味します。
私も小学生の頃(昭和が終わるあたり)まではくみ取り式便所でしたので、
祖父が月の1回程度「かえだし」作業をやっていました。
田中さんの仰るとおり「こえたご」というポリ製のバケツにひもが付いたような物を
棒の両側につるして、いわば天びん棒のようにして肩に担いで便所のくみ取り口から
畑まで持って行ってひしゃくで撒いていました。もちろん強烈な臭いな訳ですが、
その頃は「あぁ、かえだしだな」という程度の認識でした。
たしかにその「だし」をやるとその後の野菜類の味は上がった記憶があります。
ちなみに、野菜の出荷等はしてませんでしたので、完全な自家消費です。
生の人糞尿が問題となるとすれば真っ先に寄生虫の問題が出るでしょうね。
平成になってすぐに簡易浄化槽で水洗化しましたので、この「かえだし」の
作業もなくなりました。
乳牛を飼っていますが、牛糞尿もたい肥センターに搬出するようになり、
田んぼに牛床の敷きわら共々野積みして腐熟させてすき込むというのは
過去の光景になりました。
寺町 伸太郎
9/3 新潟の佐藤さんから「再起に期待する。」
有機JAS法は表示を規制する法律ですから 人糞を使用して栽培しても消費者がそれを受け入れるとなれば有機農産物と言葉で伝えるのは構わないと思います。JAS法が人糞を禁止していることをもって循環型農業がたちいたらなくなるというのは早合点しすぎだとおもいます。JAS法による有機農産物と他の有機農法による農産物には品質におおきな違いはないと思いますが法がある以上商品としてみれば少し違うということでしょうか?有機認定団体は農産物を認証しているわけではありません。有機農産物を生産するに値する人,土地,施設を認定する。収穫された農産物がJAS法に準拠して生産されJASマークを貼れて有機の表示できるかどうかを認証するのは 生産した農業者自身です。自らが生産した農産物のことは自らが一番良くわかるわけですから。人を認定すると書きましたがこのことは非常にむづかしいことと思います。だまそうとすればそれは簡単なことです。このたびの藤本農園の件は事実とすれば非常に残念なできごとですが 自ら申し出て過去を清算して再起に期待いたしたいと思います。
稲葉先生以上に有機栽培に見識と技術をお持ちの方はいらっしゃるとは思いますがその見識や技術を広く知らせてくれ 語ってくれるかたはいないのではないかとおもっています。新しい技術が開発されたとしても黙っていては何の役にもたたない 特殊な技術で終わってしまます。このホームページは皆さんで情報を共有しようということですからその趣旨は崇高ですばらしい。と思っています。
やまちゃんに感謝。
9/3 宮城の祓川さんから「し尿の利用方法について」
秡川@仙台です。
岡山市の林さん、過去ログのご紹介、ありがとうございました。
お陰様で、有機資材としてし尿を利用する際の問題点についての
知見を深めることができました。
また、福井県池田町の富田さんからの、人糞の利用(農地への還元)
に関しては、「衛生管理感覚」などの人間の感性に配慮する必要が
あるとのご指摘もその通りだと思います。
ところで、宮崎県綾町では1978年以来、処理した屎尿を有機農産物
を生産する際の液肥として利用している(いた?)と伺っています
(例えば、三田市の関本さんらによる報告書:
http://www.h6.dion.
ne.jp/~sekimoto/ayacho_organic_farming.pdf)が、これは現在も
実施されていることなのでしょうか?
もし、今も継続しているとすれば、それはJAS有機としても認証
されているのでしょうか?(話しの流れからすれば違いと思います
が...)それとも、綾町独自の認証制度の中でのみ有機農産物として
出荷されているのでしょうか?
どなたかご存知の方があれば教えてください。
よろしくお願いします。
9/3 和歌山の田中さんから「人糞肥料について」
和歌山県の田中と申します。
少しくらいなら聞いたことがあります。
>福井の富田さんから
>「家畜糞と人糞のJAS有機資材について」
>ただ、確か和歌山かどこかで、人糞だけを採取して肥料にして>いた
>ような記憶があるのですが・・・。
>ご存じの方いらっしゃいませんでしょうか?
こちらでは戦後でも人糞は普通の肥料だったようです。
肥えたごと言うバケツに紐が付いていて、棒の前後に吊るして人糞を運ぶ道具です。
オリヤ肥え (牢屋肥え)?牛糞を意味します。
耳で聞いたことと実態はどうか分かりませんが
糞=肥え=肥料と考えていたのかも知れません。
こちらでは、糞だけでなくレンゲや雑草の醗酵肥料や
ときには、マグロなどのあらを大鍋で炊いて肥料にしていた様です。
昔は、何処でも使われていたごく普通の肥料だそうです。
農産物が主な食事であったから肉などあまり食べていないから
質も多少違うようです。
水洗式に変わったり科学肥料が出てきたこと、臭いなどから
何処からも使うなと言われたことはありませんが、しだいに使われなくなっていきました。
9/2 福井の富田さんから「家畜糞と人糞のJAS有機資材について」
福井県池田町の冨田でございます。
家畜糞と人糞についてでございますが、
人糞の採取法にも関係があるのでは、と思います。
下水汚泥における重金属レベルの高さは肥料にはふさわしくない
と思います。
生ゴミだけを採取しても相当のその他のモノが含まれますから、
下水汚泥を、というのは管理された家畜糞に比べ難しいと思います。
ただ、確か和歌山かどこかで、人糞だけを採取して肥料にしていた
ような記憶があるのですが・・・。
ご存じの方いらっしゃいませんでしょうか?
あと、戦後の占領政策といいますか、人糞栽培の生野菜を米兵が
嫌ったことから始まった日本の衛生管理感覚というのも関係している
のかも知れません。こういうのは意外に根深かったりすると思います。
江戸時代の人糞と現代の人糞は中身は相当違うだろうな、と思います。
ただ、どちらにしても我々の生み出した産物なので、海に捨てるか、山の
処理場に埋めるか、農地に撒くかの差でしかないのかな、と思います。
糞をたんぼに入れるのは好ましくないと思っているので、肉食を減らして、
家畜糞の総量を減らしたいと思っています。
池田町 冨田善嗣
9/2 岡山の林さんから「Excelで計算するイネの分けつ、表添付」
皆さん今晩は、予果さん今晩は、
予果さんの泡立った飲み物は美味しそうです。
Excel
表は前回添付しておけば良かったですね。
遅くなりましたが、添付します。私は、いまだにMS Office pro 97
を使っています
ので、バージョンは古いですが新しいバージョンでも読めると思います。なお、表は
0
を表示しないように設定しています。ですから表のどこに 0
を入れても消えてし
まいます。表は自分用に自由に加工して下さい。この表を色々調べて新しいことが分
かったらアップして下さいね。
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林 正弘
岡山市
9/1 富山の予果さんから「前期の反省と自ビー○の写真」
こんばんはみなさん 林さんエクセルでつくった表を希望したらメールで送っても
らえませんか?字面を眺めていてちょっと挑戦してみたのですが んん?@○?×
★?? でした。
うちは今年も林さんが好ましいとおっしゃっている,初期の分けつが抑制される生
育状況でしたが,ず〜っとドキドキの生活でした。ようやく,つい8月20日ごろか
らホッとする状態にはなってきました。原因の一つに栄養失調の「プール育苗」があ
ると思います。
今年はところどころ苗が消えてしまいました。いつまでも田がぶくぶく沸いていた
のです。(肥料が多いわけでもないのです。肥料は反あたり計100kgほどの,3
年ものの自家製コンポスト肥料と発酵鶏糞,部分的にしか咲かなかった背丈50cm
ほどの菜の花,レンゲ少々,緑肥少々)
ぶくぶく期は田を乾かせばよいのではないかと思うのですが,植えたのが栄養失調
の稚苗なので,草に負ける心配もあり,深水をずっと続けました。長い低温期で分け
つどころか,生育せず草取りに入ればぐらりと根が抜けるような状態でした。
こういう苗の生育状況をじっと見守るという「我慢」は精神衛生上なかなか辛いも
のがあります。去年と今春,二度目のプール育苗を自慢げに語っていた私でしたが,
来年は検討いたしたく思います。
百姓の来年というのがあるけど,百姓のおととしというのもあるような気がする。
数年前に書いていた本の内容とまるで違う農法の本を書いて売っている人は結構い
るもので,私の今の愛読書,不耕起の本を書いている人もそう。でも私には彼のた
どった道筋にも関心があって,百姓はそれをよしとしていいのではないかと思いま
す。
ちょっとそれますが,藤本さんの問題はちょっと身につまされますね。自分が都会
の消費者であった頃はきっと許さなかったことですが,今はちょっと違う。
現代社会において百姓仕事はそれ自体がとてもボランティアとしかいいようがないお
仕事であるということ。我が相方は今の仕事状態を普通なら(自分が現役だったころ
に照らし)月給50万円はかたいお仕事だとのたもう。
おにぎりをつくって人に食べさせてあげている人も当然素晴らしいボランティアだけ
ど,この時代に野良に出て,社会に農産物を提供している人はまことにボランティア
だと,お遊びでもぐりあぐりの私には心底思われます。
苦節3年のホップの花+自家大麦→自ビー○完成万歳!写真添付します。うま〜いで
す。
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自家焙煎珈琲 神実(カムミ)
浜田 重人,予果
HPアドレス
http://www.cty8.com/kamu/ 〒939-2333
富山県八尾町桐谷1673
T&F 076-454-5536
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9/1 岡山の林さんから「・Re神田さんの教えてください」
皆さん、神田さん今晩は、
し尿、人糞が有機用の肥料として認められるようになった場合の問題点は、し尿処理
センターなどから堆肥化物などが圃場に出てくるようになることです。
この件については、HP
2006年02月06日 の唐沢さんのメールから議論したことがあり
ますので、参考になると思います。
http://josonet.ojiji.net/2006nen/2006-2.htm私も、過去ログを見直して、同じような内容のものを書いてしまったことを反省して
います。皆さんごめんなさい。
林 正弘
岡山市
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